たまに、毎日飼い犬をゴイゴイ散歩させるからといって、新たに家に迎えた猫にもリードをつけて家の近辺を引きずり回すような人が
「自分はだれにでも平等に接する」
と自負していたりすると、それは、等しく平らなのではなく、通り一辺の画一ではないかと思う。
犬という生きものの特性には配慮しているのに、猫の特性には全く配慮していないあたり、不平等きわまりない。
といっても、相手の特性に合った接し方というのも、実はなかなか難しい。
自分自身の相手の捉え方が的確かどうかも怪しいし、相手自身が捉えているその人の特性(これが現実に即しているかどうかもまた怪しい)とマッチしているかどうかも定かではないし。
飼い犬だって、もしかしたら
「なんで自分ばかりが散歩させられるのか」と思ってているかもしれない。
逆に、散歩を愛の証と考え、冷暖房の効いた室内で留守番している猫に対して優越感や憐憫の情を抱いているかもしれない。
或は、なにも考えてないかもしれない。
それはもう、本人(犬?)にしかわからないことだ。
扱いが平等ではないと感じると、その相手に不満を感じるが、これも果たして不平等だから不満なのか、不満を持っているから不平等と感じるのかは微妙なところだ。
完全に自分の望むような平等はない。
それだけが、全ての存在に平等に与えられる現実なのかもしれない。
だからといって、人をよく見て平等に接する努力を無駄だとは思わないけどね。