“ふつう”は宇宙である
果てはあっても端はない
量的質的に有限でも
球面のように中心も辺縁もない
多少の粗密はあるけどね
それも言うほどではない
“ふつう”の一角にぽつねんと立って
遠くを見やれば
遥か彼方に人が集まって見えるが
その中のひとりひとりも
やはりぽつねんと立って
どこか遠くを見やりながら
彼方に集まりの夢を見ている
距離感の消失が見せる集合体を
星座の如く意味ある塊として恋しがる
それが二十億光年の孤独なら
ぼくは花粉症に紛れてくしゃみをする
とか言ってみたけれど、どうだか。
少なくとも、谷川俊太郎せんせいにはお詫びをせにゃなりますまいな。
はい。
どうもすみませんm(_ _)m