近頃、ネット界隈は桜の投稿で賑わっておりますね。
それだけお花見が好きな人が多いのかな。
西行法師が「桜が咲くと騒がしくてかなわんな」的に思う気持ちもわからなくはないですな。
というわけで、今年は能楽『西行桜』でも取り上げてみましょうか。
桜溺愛坊主(なんちゅう言い方や)西行の庵には桜の木があって、毎年、花の頃にはその評判を聞きつけた人が見物に訪れたそうです。
しかし、ある年の春は、西行は思うところがあって花見を禁止するつもりだったのですが、そんな思惑をよそに、例年通り人は訪ねてきました。
むげに追い返すわけにもいかず、見物客を受け入れた西行が歌に詠んだのが
「花はその美しさで人を惑わせて煩わしいことだ」
という趣旨の一首でした。
と、その夜の夢に、年老いた姿の桜の精が現れ
「桜の咎とはなんだ?花は人を惑わすために咲くわけではない、ただ咲いているだけ」
と反論しました。
そして、桜の精は各地の桜の名所を織り込んだ唄で静かに舞い、やがて春の夜を惜しみながら消えていった、というようなお話らしいです。見たことないけど。
筋らしい筋はないのですが
「花はただ咲いているだけ」というのはなんとなく好きです。
別にお前のために咲いてるんじゃねえぞ(なに?なんか嫌な記憶でもあるの)、みたいな感じですかね。
さらに、自分が何をしても、それに対して思いもよらない感情を持つ人はいるし、他人の反応を気にしてビクビクしてもしょうがないか、という開き直りも持てそうです。
逆に、自分が人に対して色々と思い煩うときも、相手は自分が煩うほどの思惑もなく、ただその人の自然に従って振るまっているだけなんだと受け入れることも肝要なのかな、とも。
まあ、春らしく靄々した展開となりましたが
「読みにくいやろうな~」
などと、人を煩わすことを気にするのは、今日はやめておきます。
なぜなら
「花は、たゞ咲くのみ」
ですから。
では、よい花見日和を。