十五夜は昨日でしたが、スーパームーンは今日らしいですね。
“Super moon” 直訳すると『超月』。
…なんだか『我君を愛す』ぐらいヒネリも情緒もないので、なにかしら魅力的な超訳を考えたいものです。
などと言いつつ、月を見ていると肚の底辺りがなにやらざわつきます。
文明の利器に頼りきって暮らすひ弱な中年でも、多少は野性の血が騒ぐ、といったところでしょうか。
だからといって、実際に月に吠えたり虎になって月明かりの森や草原を徘徊したことは未だないですが、そういった物語は嫌いではないです。
例えば、中島敦の『山月記』。
高校の国語の教科書に載ってたな、という記憶をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
出だしの一文節
『隴西の李徴は博学才穎、』
の間に、ひらがなが“の”と“は”の二つしかないという、驚異の取っ付きにくさを持つ作品です。
作品の舞台が中国なので、ある程度は仕方がないのですが…
ざっくりとあらすじを書きますと、
昔、隴西(ろうさい)というところに李徴(りちょう) というどえらいカシコ(=博学才穎)がおりまして。
年若くして科挙試験に合格しエリート官僚の仲間入りを果たしましたが、周りはなにかっつーと賄賂をねだる寄生虫みたいな輩ばかり。
「こんな腐った世界はオレのいる場所じゃねぇ!!」とばかりに仕事を辞めてしまい、詩人を目指すことにしました。
ところが、世の中そんなに甘くなく、結局、妻子を養うためにつてを頼って地方役人の仕事にありつきます。
が、再就職すると、エリート官僚だった頃にはバカにしてたようなショボい奴が年月を経て出世し、しがない地方役人の自分はアゴで使われるようになっておりました。
そんな生活を続けるうちに、李徴はだんだんおかしなことになっていき、ある月夜、大声で意味不明のことを叫びなから家を飛び出し、それっきり帰ってきませんでした。
それから数年後…
結局、李徴は虎になって夜な夜な街道を通る旅人を食い散らかすようになっていたのですが、その事件を調べにきたかつての同僚で友人(名前忘れた…)と姿を見せずに再会し、人間としての自分の感情を延々吐露し、
最後に、在明けの月明かりの下、今の己の姿を晒して去っていく、という感じです。
おお、意外と長くなってしまった。
初めてこの話を読んだとき、
「オイラも、近い将来虎になるかもしれんな…」
と思いました。
自信と自意識が過剰で、人を人とも思ってない―間違いなくそんなありがちな若者だったのです。
幸い今日までなんとか人間としてやってこられましたが…
満月の日は交通事故、とくにスピードの出しすぎが原因のものが多いと聞きます。
満月には、人間のなにかリミッター的なものを外してしまう力があり、それが、世界中にある
『満月の夜に獣になる』という物語の元なのかもしれませんね。