○○すぎる人々がメディアの世界に氾濫しておりますが、そういわれる人々が実際に○○すぎることはほぼなく、オイラは相当ゲンナリしております。
…あまりにゲンナリしすぎて(しまった!こんなところで安易に『すぎる』使っちゃった…)、ついつい読みにくいロングセンテンスで捲し立ててしまいました。
申し訳ありませんm(__)m
『○○すぎる』のみならず、現代の物事に対する評価表現の安直さと薄さと過大さは、本当にどうしたもんかと思います。
そのような表現をする人が賛辞を贈るものは、たいてい、一般的な範疇をはみ出過ぎない想定内の安心感の中にあるな、と個人的には感じます。
そして、本当に『○○すぎ』てついていけないものは、決してフィーチャーされずに蚊帳の外という、まこと日本人的なキモチワルさもあるような…
ボキャブラリー形成途中の若者が、その時々に素直な気持ちでそのような表現をする分には、まあ、いいかな、と思わなくもないのです。
ただ、そこで立ち止まってずっとボキャ貧に甘んじるとか、人が使っているから安易に真似し続けるとかーとくにオジサンが乗っかって使っているのは、目も当てられません。
I hate 思考停止!!
ちょっとぐらい背伸びしなきゃ、行き着く先は、猫背のしょっぱい中年よ!
…などと、意気がってみるものの。
「神も鬼も、そんな想定内すぎるのものと一緒にされてはたまったもんではないよ」
なんて、うるさいこと思うのは、もう、オイラが昔の人になりつつあるということなのでしょうね。