翌日にはダーリンに会えたのだが、顔を見た瞬間、不覚にも泣いてしまった。
3年も一緒にいて、最初の頃のようにずっとくっついてる訳でも、常に話しをする訳でもなくなっていた私達。
もちろん、口もきかず…なんてことはなく、仲は良かったが、まさか、泣いてしまうとは。
術後で気が弱っていたのか。
自分の中で、これほどまでに大きな存在になっていたのを、思い知らされた気がした。
私の手術中。
義母と話しをして、秋くらいになったら、叔父さん(義母の弟)に間に入ってもらい、私の両親と話しをしよう、と。
(義父では、まとまるものもまとまらなくなる可能性がある、てことらしい;)
『年内に、結婚しましょう。』
改めてプロポーズされた。
それはそれは、嬉しくて、口元は緩みっぱなしだった。
まぁもっとも、この約束が果たされることはなかったのだが(苦笑;)。
ところで。
今回の入院を、私は両親に知らせていなかった。
こんな状態で【あの】母の相手をするのは、地獄の苦しみだった。
本当は、ダーリンの一存で連絡したことにして、連絡させようか、とも考えた。
私は【連絡するな】と言ったが、場合が場合だから、とダーリンの判断で連絡したことにすれば、彼の評価があがる、と思ったのだ。
ただ。
それをするには、ある問題があった。
元ダンだ。
元ダンは再婚していた。
そして偶然にもこの頃、再婚相手が妊娠していたのだ。
しかも私は、そのことを口止めされていた。
元ダンが再婚することを知った当初、母は、孫(つまり、私が手放した子)を引き取りたがっていた。
「アナタまだ若いでしょ?新しい奥さんとの間に子どもが出来たら、絶対にこの子が邪魔になるからッ。」
と。
(ある意味その読みは当たっていたのだが)
その時元ダンは、母の野望を阻止する為に
「子どもは、何があっても絶対に作りませんッ!!」
なぞと、アホな宣言をしていたのだ。
もちろん、そんな気は更々ないのに。
もし私のことで、何も知らない母が元ダンの所へ行くことがあったら、大変なことになる、と思ったのだ。
母にしてみたら、実の娘は死ぬ直前だったし、再婚相手は知らぬ間に妊娠してるし、で、きっと…いや、絶対に半狂乱になるに違いなかった。
『どっちにしても揉めるだろ。あっち(元ダン)にも飛び火したら、やばいだろ。』
とダーリンが言ったので、結局連絡しなかった。
元ダン側への配慮もあったが、そのせいで、収拾がつかなくなることを避けたかったのもあった。
何年も経ってから、私がその話し(外妊で死ぬ直前だった、てこと)をしたら、低い声で
「あんた、死ななくて良かったわね。死んでたら、私は一生ダーリンを怨んでただろうから。」
と。
つか、そこ?
私の無事を喜んだ理由は、そこですか?
流石、お母さま。
我が母ながら、感心した。
まぁ、確かに大変なことにはなっていただろし、私が生きていることで、ダーリンは余計な悪念を受けずに済んだわけなので、結果オーライ、ということか。
それより。
後から思えば、あんな元ダンに、そこまで義理立てをすることはなかったのだが。
元ダンは随分経ってから、娘に、私の外妊の話しをしたそうだ。
命が危なかった、とは一切言わず、外妊がどういうものか、もちゃんと説明せず
「おぃ、お前が大事だとか言いながら、他の男と子ども作ったんだぜ?お前のことなんか、何も考えてないんだぞ?」
と、話しをしたらしい。
娘に、私への憎悪感を植え付ける為だけに。
自分も子どもを作っていたクセに、だ。
私達から直接話しを聞き、初めて、そんな命に関わるほどの出来事だったことを知った娘は
「このことだけはッ!何があっても(元ダンを)一生許さないッ!!」
と。
この話題になると、顔色が変わるくらい怒っていた。
よほど、その時の説明の仕方が悪かったのだろう。
とにかく、かなり私を馬鹿にした言い方だったらしい。
話しを戻そう。
最初は、親に連絡しなくて良いのか、と言っていた義母だったが、ダーリンの説明を聞いて
「自分達がそぉ決めたなら…。」
と言ってくれた。
ただあの時。
連絡していたら、今とは状況は変わっていたのだろうか。
連絡しなかったことが、本当に良かったのか、悪かったのか…。
さて。
私は、頭痛に悩まされていた。
一日、それこそ24時間ずっとだったが、特に夜中が酷かった。
日中は、雑音などで結構気も紛れるが、夜中はシーンと静まり返っている。
嫌でも頭痛に意識が集中してしまう。
やっと寝ても、30分~1時間おきに目が覚めてしまう。
睡眠剤を出してもらい、飲んで寝たが、それでも結局夜中に目が覚め、同じコトの繰り返しだった。
多分、極度の貧血が原因だったと思われるが、その痛さは、深い筈の眠りをも妨げた。
それで。
どうせ目覚めてしまうなら、痛みを和らげた方が良いと考え、痛み止めを貰うコトにした。
その作戦は成功だった。
徐々にその痛みにも慣らされたのと、点滴で鉄剤を打っていたからか、数日後には、どうにかその苦悩からも解放された。