生い立ち…続次 | 腹回り鏡餅に浮輪ネガポジ部屋

腹回り鏡餅に浮輪ネガポジ部屋

光と闇は表裏一体。
2017年末に 脳梗塞で倒れ 糖尿病も併発、軽い右側麻痺、言葉がたどたどしい。
LDH系、特に三代目JSB、特に登坂広臣(臣ちゃ)好き♡♡♡
斎藤工(工ちゃん)好き♡♡♡
《いいね》は生存確認、内容に関わらずしてます。
(記事に無関係、無神経な※ 無言削除)

思えば…
私の【事件】は、自転車がらみが多い気がする。

これも保育園の頃。

母の自転車の後ろに乗っけられていた私。
颯爽と自転車をこいでいた母は、ふと、異変を感じた。
自転車を止めた母が見たのは…

足から出血しながら、痛みを必死にこらえていた、私の悲痛な顔だった。

自転車の車輪の部分に片足を巻き込まれたまま、走っていたのだ。
爽快なリズムにあわせ、カンカン♪カンカン♪カンッ♪と。

当時。
自転車の子供用の座椅子を買うのがもったいないと思った母は、後ろの台の部分に、薄くて小さい座布団を括り付け、そこに私を座らせていた。
それは勿論、足を乗せる場所などなかった。

恐らくガタガタ道で、バランスをとる為に、つい、両足でタイヤを挟み込むカタチになっただろう。
片方は丁度カバーのようになっていたが、もう片方は何もなかった。
結果、足を巻き込まれた…という訳だ。

『何で言わなかったのっ!!』

母に激怒されたのは言うまでもない。

本当に、何故、何も言わなかったのか?
かなりの激痛だっただろに。
自転車とはいえ、結構なスピードで回転してる車輪部分に巻き込まれたのだから。

実際の話
靴と靴下に守られていた筈なのに
足首から足の甲にかけて
皮がずるむけ、出血も激しかった。
我慢強いにもほどがある。

考えてみれば。
この頃から、母にいつも何かしらガミガミと言われていた。
頭ごなしに。

そのせいか、何でも
【自分が悪いんだ】
と思い込む癖があった。

この時も多分、【自分が悪いんだから…】と思ったのだろ。
母に言ったら怒られると。
私にとって母は、余程恐かったに違いない。

まだ、歳はヒトケタ代だというのに、出血するほどの痛みも我慢するとは…

けなげである。

そういえば。

数年後の中学の時
車に跳ね飛ばされた時も
事故云々や怪我云々よりも
【早くこの場から立ち去らねば、母に見付かって怒鳴られる】
という思いから、その場を逃げ出そうとしたっけ。
それだけで
どんな母娘関係だったか、想像がつくってもんである。

厳しい節約生活の中でも、私に何かしてやりたい…そんな優しさを感じていた【時代】もあった。

幼い頃
危険をおかしてまで、母の姿を捜し求めたり
私自身、いつも母のことを思っていたような記憶もある。

私は母が大好きで
母も私が笑顔でいられるくらいの愛情は注いでくれていた筈だった。

確かに
保育園前後までは、純粋に明るい活発な子どもだった。

それが…

母の眉間には、いつも深いシワが鎮座し、私の笑顔も、うさん臭いものへと変わってゆく。
母の顔色をうかがい、なるべく気に障らぬようにした、裏表のある笑顔へ。

やがて。
小学校に入学した私は、イジメのターゲットにされるようになっていた。

イジメといっても今ほど陰湿なものではなく、山の斜面にランドセルの中身を全部ぶちまけられたり、上履きがゴミ箱に捨てられていたりする程度だったが。

近所の上級生の1人に、何故か私が気に入らないと思ってる子が居り、その子がリーダーみたくなり、執拗(シツヨウ)にイジメを受けた。
その女の子が卒業した時は、非常にホッとしたのを覚えている。
期間は、2年くらいだろか。

もちろんイジメは良くない。
どんな理由があれど、正当化されるべきことではない。

ただ…
その時の私に限っていえば
両親の間に
何か得体の知れぬものが漂っているのを
敏感に感じ取り
それによって曇った
私の【気】が
相手のカンに障ったのかもしれない。

その後
その上級生が居なくなった数年後にも、同じクラスに、ちゃんと同じよな役割をする女の子が現れたのだから。

父を追い掛けて、新しい土地に移り住んだ数年後。
母の、執念にも似た根性のお陰で、一軒家に引っ越すことが出来た。
もちろん、引っ越した先でもまた、小さな【事件】はあった。

引っ越してすぐの頃、本当によくお金を拾った。
少ない金額から、多い時は1万円て時もあった。
あの当時の1万円といえば、かなりの金額である。
まだ近所には、あまり家が建っていなかったのだが、続々と建て売り住宅の建築は進んでいた。
その作業をしている人達の誰かが落としたのだろか?

度々お金を拾って来る私に
とにかく母が凄く笑顔で
とても機嫌が良かったのを覚えている。
そのお金の行き先は…
言うまでもないだろう(苦笑;)。


それから。
新しい家に引っ越して間もなく、ボヤ騒ぎを起こしてしまったことがある。

その頃になると、母は仕事を内職からパート社員へと変えていた。
それで、母が帰る頃にお風呂を沸かしておくのが私の家での仕事だった。

ある日、いつも通りにお風呂を沸かしていたのだが、隣のオバサンが
【お風呂から煙が出てる】
と、知らせてくれた。

お風呂には全く水が入っておらず、空炊きしてしまったのだ。
水が入ってるのを確認したのだが、詮がきちんとされていなかったのか…。

幸い、大事には至らず、風呂ガマと浴槽を少し焦がした程度で済んだ。
あの時は、母が帰って来るまで、生きた心地がしなかった。
真っ暗な部屋の中で、冷たいコタツに潜り込み、震えていたのを覚えている。

よほど悲痛な顔をしていたんだろう。
その時の母は、軽く注意をしただけで、珍しく私を叱らなかった。
いつもなら、罵声を浴びせられ、掴みかかられてもおかしくないくらいのことをやらかしたのに。