今年3月、実父母のことを書きました。今回はあまり話していなかった10歳上の兄のことを少し。
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小学生の頃に兄は高校卒業、就職して実家を出たので、子供の頃はよく一人っ子だと思われていました。私には兄妹で遊んだ記憶はありません。覚えているといえば、話をすれば何かを注意されたり、説教のようになってはよく頭を叩(はた)かれて泣いていたこと。泣くと「すぐ泣いて」とからかわれました。兄に漢字の練習をさせられたことがあり、兄の教え方がキツくて泣きながら漢字を書いていました。そばで編み物をしながらその様子を見ていた母は何も言ってくれず、ただただ悲しかった。私にとって良い思い出はありません。
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高校の時、兄は結婚して2人の女の子に恵まれました。両家だけの披露宴に招待されただけで、妹の私には結婚の経緯等は何も知らされていません。たまに実家に来ても兄1人で、私とは相変わらず一方的に説教じみた話になるだけでした。19歳で米留学し、後に渡独したことで兄との関係は余計に薄れました。
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ドイツで2004年に結婚、その4年後の2008年。日本の母から兄が「大動脈解離」で緊急入院したと知らされました。それから少しして集中治療室から一般病棟に変わって安堵したものの、院内感染で容態が急変し昏睡。手術が必要だったのですが、高血圧と体重過多で出来ずに片足が壊死し、結局は昏睡から覚めることなく再び解離が起きて41歳の若さで亡くなりました。数年は会うことも話すことなかったですが、母から危ないと聞かされて一時帰国をしていたので、早朝に亡くなった直後に実家から駆けつけられ、葬儀にも参列できました。
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義姉の実家で母親と同居(マスオさん状態)、勤務していた建築会社を退職、PC修理会社を起業した矢先でした。葬儀には兄夫婦の友人知人、会社関係の方々が多く参列され皆、兄の急逝を心から悔やまれていました。離婚危機だった友人夫婦の関係を修復したり、姪の中学校の不良をシメたり、友人との夜釣りが好きで釣り竿を大事にしていたり…兄の葬儀の日に兄の人望の厚さを初めて知りました。
実の兄を失くしたという事実に悲しみ泣きましたが、同時に妹の私が知らなかった、私には一度も見せてはくれなかった優しさに「なぜ」と悲しくなりました。思い当たることは、父母が私が生まれてから兄を蔑ろにしていた節が多々あったのを記憶しているので、それが原因だったかもしれません。
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兄が生きていたら還暦間近。中学生だった姪達も30代。元々、兄一家とは他人のようでほとんど関わりが無い存在だったので、義姉と姪達と連絡はそれ以来取ってはいません。
兄がいるのに一人っ子のように育てられ、兄妹の思い出もなく、「きょうだい」がいる感覚がわからない。今では知ることはできませんが、兄はどのような私との思い出があったのか、ふと考える事があります。
それでは
