明日はムスメの誕生日です。毎年、その日の少し前から考えてしまうことがあります。
まずは昔話を…、
2008年に10歳年上の兄が大動脈解離で亡くなっています。2010年の年末には父が風呂場で心筋梗塞になり急死。母と私の気持ちが落ち着きかけそうな翌年3月、「東日本大震災」が起きました。ムスメを出産する6日前でした。
兄の最期は間に合い、葬儀に出席できました。でも父の死と大震災は妊娠中期〜後期に入っていました。往復路と日本滞在中に何かあればいけないので日本へは帰国せず、出産後もそれどころではありませんでした。
というのも…
私には両親への愛情はほとんどありません。だから私は生み育ててもらった親よりオットーとお腹の中にいたムスメの自分の家族を選びました。
実家は嫌でした。
両親から「離婚したら1人で生活していけないから私のためにだけに一緒にいるのだ」と子供の時に面と向かって言われました。私が唯一の共通点だったので夫婦愛が欠けていました。今思うと兄も実家は居心地が悪そうでした。私がまだ小学生の頃、兄は高校卒業後すぐ就職、会社の寮に入りました。
家庭内暴力・虐待はなく、放任や毒親でもない普通に育てられました。が、母は夫婦関係を改善するつもりはなく、私の前でよく父に愚痴、陰で私に父の悪口、近所の人、知人、同僚を妬み見下し馬鹿にする母。父は2度も勤務中に自動車事故を起こし、相手への示談金を払うために消費者金融からの借金を隠し、母と向き合わず、金銭問題や夫婦関係から隠れ酒で逃げるだけの意気地がない人でした。中学生の年齢の頃にはそんな両親と暮らしているのが苦しかったです。貧乏になってもいい、どこに住んでもいい。お互いの存在がない環境と落ち着いた気持ちで暮らして欲しい。父母の醜い姿を見たくなかった私は子供の頃、別居または離婚を幾度となく願ったことがあります。
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日本で一人暮らしをしていた母とは大震災後、まだ余震のあった時に電話越しで「今生の別れ」をしました。でも結局はムスメがまだ赤ちゃんだったとき、金銭的な問題が発覚して話に応じない母と電話越しで絶縁。過去、再留学費用のための貯金を全額、父の借金のために無断で使われて以来、完全に両親への信用を失いました。そして貯金の喪失と父の借金が理由で再留学の夢は断念しました。
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最後になった電話で母から捨て台詞を吐かれて電話を切られて以来、私は母と連絡を一切取っていません。実家がどうなっているか、母の生死も全く知らず、今まで一度も調べてもいません。これからも何もしません。
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話を戻し…、
「今はお腹の赤ちゃんのために耐えないと」
父の死、東日本大震災の時にオットー、義父母、産婦人科医等の周りから言われました。私もそう考え、赤ちゃんの負担にならないように悲しみや不安を抑え、動揺をごまかし、泣くのも出来る限り我慢しました。誕生日が近づくと思います、それは間違っていたのでは?…と。
なぜなら、
産まれてきてくれたムスメは感情の発達が遅く、表現が乏しかった。
「もしかして、私が無理して堪えしまったから?」
お腹の中で「感情を出してはいけない」というのが伝わり、かえって胎教に悪かったのでないか?あの時、感情を抑えこまずに素直に狼狽えて、たくさん泣いて、心の底から悲しんでおけば、知的・発達障害であっても感情表現に支障が少なかったかもしれないと考えています。
父には孫の顔を見せられず、母とも絶縁しましたが、親不孝をした事は一片の悔いもありません。今でも最善の決断をしたと思っています。が、妊娠中に自分の感情を抑えてしまったことには13年経っても罪悪感を持ち、後悔してもしきれません。
実際のところ、私なのか先天的なのか原因はわかりませんが、ムスメの誕生日前になると思い返してまいます。
それでは
【おまけ: 親つながり】
エバークリアの"ファーザー・オブ・マイン"
ボーカルのアート氏自身と実父を元にしているそう。実に良い曲