【お詫びと訂正】
昨日に書いた記事の中で「プロテスタント系幼稚園」と書きましたが、「療育幼稚園」の誤りでした。正しいのは義父母が自宅前でムスメのバスを待ち、ムスメをバスから降ろしてからマクドです。
この続き(修正版)
私とオットーが帰宅した直後から義父母が帰るまでわずか10分もなく、引き留められる時間はありませんでした。義実家に帰宅してから電話をかけてきた義父は、
「さっきは急いで帰りすぎた。あれはアカンかったと思うわ」
と、言いました。でもその謝罪は義父母とマクドを楽しみにしていたムスメに対してではなく、自分達がばつが悪いから謝っているようにしか聞こえなかった。
結局、義父はオットーに無事帰宅したと手短かに話しただけで、電話の側にいたムスメに直接謝らせる前にさっさと電話を切ってしまいました。
この日の夜、
「嫁である私への思慮のない放言とか態度は我慢すればいい。けどな、ムスメにしたのは絶対に許さへん。オットーもあの時のムスメ見たやろ?子供にあんな思いさせといて、まともに謝れんとかどんな腐った人間やねん!」
「そうやけど、アレはもう言う事聞かんし、何言っても変わらんからどうしようもない」
「あーもう無理!あの人らに気ぃ使うのやめや!」
私はムスメの悲しさを押し殺した表情が忘れられず、今までの鬱憤もあり、感情的に夫の両親を罵倒しました。過去、私が義父母の失礼な言動に何度か涙したのを知っているオットーはすんなり了承してくれました。
ですがいくら怒り心頭でも、
昔も今もムスメの前では義父母の文句は言いません。その時はまだムスメにとっては大好きなジジババだったし、人が悪口言ったり、喧嘩して怒っているのを見るだけで怖がる繊細で優しい子なので…。
それからしばらく、
義父母の顔を見たくなかったので遊びに来たら挨拶もせず、オットーに任せて2階にこもってました(というか昼寝していた)。ムスメ自身も少しずつ義父母のルーズな対応を理解していき、今では2人を話題にすることはなく、遊びに来ても送迎することもなくなって来ても来なくてもどっちでもいいみたいな薄い対応になりました。
私の義父母で良かったと心から思えた頃の二人を思い出すと、とても悲しいです。一生懸命に働いて定年したから"ゆっくり"しようと生活リズムをニートみたいにだらしなくすると、心が荒んでしまう良い例だと思ってます。
今でもあの時に厳しく言うべきだった、と私自身の対応が誤りだったと後悔しています。仮にそうしたら、確実にムスメは恐いママに怯えて泣いて余計に傷ついていただろうなあとも考え悶々としますが、この件で私は義父母に完全に失望しました。
次回はオットーもついにキレた、という話へ続く