義父は元郵便配達員。郵便物ぎっしりの重いカートを押しながら毎日、暑い日も寒い日も徒歩で配達してました。義母は人件費の安い若い人材のためにArzthilferin(診察受付兼看護助手)の仕事を解雇されました。さらに身内の死などの悲報が重なってアルコールに走りましたが、私がオットーと文通していた時に乳ガンを患い、手術と化学療法しています(再発、転移なし)。学費ローンがなければオットーは大学に行けなかった、決して裕福じゃなかった家庭だったけど、義父母は家も購入し、家族のために頑張っていたそうです。

 

ずっと前の義父母』の頃は義父が定年を迎えたばかり。キッチンを7000ユーロ(約87万)ぐらいかけてリフォームしたり、新車を購入したり、昔の家族旅行先だったAlgäu(アルゴイ地方)に夫婦旅行したり、元同僚と食事に行ったり。子育ても終わって、その子供も立派な社会人で家族を養うまでになり、今まで苦労したぶん、好きなことすればいいと思ってました。

 

たとえ、

 

朝の起床が遅くなり、

食事もスーパーへの買い物の途中で立ち寄る軽食スタンドで済ませ、

喫煙を減らさずに飲酒も続け、

外出が減っていったとしても……

 

それでも生後3ヶ月だったムスメの首の後ろに「Blutschwämmchen(血管腫)」を発見し、精密検査のために車で30分の距離にある皮膚科専門クリニックにも行ったときにも、朝早くから来てくれました(それは成長したら消えました)。遊びに来る他、ムスメを預けるなどの用事でも快くすぐに駆けつけてくれ、まだ義父母の生活の変化と義父母自身の変化がとくに気になることはありませんでした。

 

でも人間、『ゆったり』した生活を何の制限もなくいつまでも続けていたら…?

 

昼前に来て、少し団欒して、それからお昼を一緒に食べに行って、お茶の時間を過ごす。そういうこともできていました。が、次第にそれが減っていき、訪問時間が昼過ぎになったうえに短くなり、家で軽くお茶する間にたわいのない話して、ムスメとちょっと遊んで、ムスメの写真撮って終了。今では平均2時間ぐらいでそそくさ帰っていき、2週間に1度ぐらい遊びに来ていたのも月1ぐらいになりました。

 

誰にも邪魔されない夫婦『ゆったり気楽』な生活が加速していき、

 

「穴茄子さん、あまり早いと迷惑でしょ。いつお伺いすればいいかしら?」

「お義父母さん達のお好きな時間で結構ですよ…」

 

って返事すると、昼過ぎた午後2時頃に来るようになりました。朝遅いし、それからコーヒー飲んでテレビ観たりして目を覚ますので昼前では早いという。おやつの時間を半分すぎたくらいに嬉しそうにシーユーアゲイン。そして来ては失言を放つようなる(それは次回に)

 

郵便配達員だった頃の大変でも規則正しい生活を止め、ルーズに、不健康になりつつあった義父母。不必要な物ばかり持ってきたり、ちょっとカチンとくる失言されてもまだ義父母が心配でした。

 

 

キリスト教には『七つの大罪』があります。その1つがFaulheit(ファウルハイト)怠惰どうしてそれが大罪なのか、義父母の変わり様からわかるようになりました。