オットーが10代だった頃……
- 義母が医療受付の仕事を解雇され、彼女の弟の急逝が重なる
- 義妹がそれから間もなく、教会で知り合った10歳年下の男性と再婚
- それらが原因で義母、アルコールに走る
- 義母のアルコール問題で家族崩壊の危機
- オットーは義父に離婚をすすめたが、義母を失うのを恐れた義父は拒否
という過去を知っていたのですが、大事な1人息子のPenpal(ペンパル、文通)相手だったどこの馬の骨かわからないアジア人の女を義父母は初見から快く迎え入れてくれました。その時一緒に食べた初めてのPlaumenkuchen(プルーンケーキ)の酸っぱさは今でも覚えています(砂糖をふりかけて食べることを後日習う)。
それからそのあとも、
Fachhochschule(大学)を出たばかりのオットーとアパート暮らしをと思ってアパートを探していたときでも「お金もかかるし、息子が就職するまで暮せばいい」と言って同居させてくれたばかりか、食費など一切受け取らず家族のように扱ってくれました。
オットーが今の居住地で就職し、結婚し、アパートで暮らしていた時でも、義父母が来ると4人で食事に出かけたり、大型スーパーに買い物に行ったりしてました。
その当時は嫁舅姑バトルなんて無関係。オットーの実家に遊びに行っても帰りたがるオットーをよそに居心地良さにもうちょっといたいなあって思ったり。私が子供時代から見たことのなかった嘘じゃない仲の良い夫婦像を見せてくれたり。何かを修理したいときは道具を持ってきてくれたり。オットーの祖父の遺産というものの、何かお祝いあれば結構な額の現金をプレゼントされたり。
オットーが大卒で就職したてで新婚の頃の義父母の多大な援助にとても感謝しています。自分の親がこうだったら良かったと思えた素晴らしいSchwiegereltern(シュヴィーガーエルテァーン、義父母)でした。彼らのおかげで(どうなるかわかりませんが)ムスメがもし結婚というものに縁があれば、私も彼らのようにしようと今でも思っています。
でも、それが少しずつ…
(次回へ続く)