レント・シーキングという無意味な言葉 | 三橋貴明氏の原発再稼働を批判するブログ

三橋貴明氏の原発再稼働を批判するブログ

原発を延命するのに使うお金、次のエネルギーを開拓するのに使うお金。
次に原発が事故る確率と、次のエネルギーの技術革新が起こる確率。
次に日本で大地震が起こる確率と、原発の組織内で癒着が起こる確率。

三橋貴明氏の経済政策は正しいが、原発推進は間違い。

三橋氏が好んでよく用いる用語になったレント・シーキングは、結局のところ、三橋氏が好きな政策は、レント・シーキングではなく、三橋氏が嫌いな政策は、レント・シーキングである、となってしまっていませんか? 

三橋氏は、こう言っています『いずれにしても政策とは「不公平」なのです。そもそも政策とは限りあるリソースを「どこに投じるか」という問題なので、リソースが振り向けられなかったところは不公平感を必ず抱くでしょうし、実際に不公平です』と[1]。政策は不公平なのですから、その恩恵を被ることの出来る企業や団体は、少なからず、その政策実現に働きかけるのが自然です。再生可能エネルギー固定価格買取制度も、不公平に利益を上げる人と上げられない人は、存在するはずです。政策は不公平なのですから。こうなってしまうと、もはや、レント・シーキングという言葉を使う意味が、あまりよく分からなくなってきたところです。レント・シーキングではなく、国益や経世在民に適った政策を、と言うのであれば、そのとおりです。
[1] http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/day-20120123.html

三橋氏は、再生可能エネルギー固定価格買取制度を、『典型的な「1%対99%」』『レント・シーキングが「完璧に成功した例」』と言いますが[1]、再生可能エネルギー固定価格買取制度は、比較的、公平に開かれた制度です。個人でも、地域団体でも、企業でも、誰もが、この制度を利用することが出来ます。田舎の住宅の屋根にも、非常に多くの太陽電池パネルが見られるようになりました。それに比べて、原発は、非常に閉ざされた既得権益で、国から注がれる莫大な予算、それによる資金力を盾にして大学の教授を買うことも出来る原発村、一部の人たちが利益を享受し、その構造を支配する独占状態です。『レントシーキングとは、政治や官僚に働きかけることによって規制を生み出し、経済主体が自分の活動環境を有利なように変えていく行動を意味する』[2]というその定義どおり、原発は、まさに、レント・シーキングと言えるでしょう。