ここ三日間で遠藤周作さんの小説深い河を読みました。
これまで遠藤周作さんの本を三、四冊読みましたが、どのように噛み砕けば良いか分からず、どこか咀嚼しきれず、味わいもよく分からないような感覚になってしまいます。
でも、どこか目を背けられないものを感じたりもしています。
それは何かが心に引っ掛かるのです。
その何かとは何か。
遠藤周作さんの最後の遺作となったこの作品から自分は何を感じ取れるのであろうか。
それとも何も得られずに読み終えてしまうのであろうか。
そのような気持ちで読み始めました。
まずは五人の人達が四つのストーリーに別れて展開されます。
それぞれ五人が主人公になり、五人の内の二人だけは関わって話は進みますが、ほぼ関係を持たないような形になっています。
その後はそれぞれが何かしらの目的を持ってインドに向かい、一人一人が目的を果たそうとして行く中で自分なりの答えとなりうるものを感じ取って行く。
それぞれが抱える孤独や悲しみや苦しみと向き合います。
そしてインドで探し求めさ迷う事でひとつひとつ見つけて行きます。
救われない苦しみの中で当初求めていたものを手にしたとは言えないとは思いますが、さ迷いながらも探し求めて行く事で自分の救いになるものに出会ったような感じがしました。
人には生きて行く中でどうにも出来ない事に出くわす時があります。
でもどうにも出来ない事に向き合い、求め続けると何かを見つける事もあります。
たとえ当初求めていたものを手に入れられなくとも、それとは違う救いとなるものを手にする事もあるのではないか。
求めていたものをどんな時も手に入れられるものではない。
かけがえのない大切なものを失ってしまい、取り返そうにも取り戻す事が出来ない。
そのような時に悲しみは深く重くなって行くのではないでしょうか。
そうした悲しみに出会った時にこのような救いとなるものもあると示してくれる。
それが「深い河」という作品かと思われます。
人にとって何が救いとなるのか。
苦しみや悲しみと向き合い続けると、そこから新たな命となるものが生まれて来て与えられる事もある。
そのような事を遠藤周作さん自らの経験を通して伝えようとしてくれている気がします。