京都では東寺と神護寺(じんごじ)に行きました
仏様と向き合って感じたのは人の全てを受け入れて、どんな事にでも応えよう(救おう)とするお姿を感じた事です
私がどんな人間であっても、過去の過ちや間違い、悩み苦しみ悲しみ、迷いや憂いや絶望
そのなにもかも全てを受け入れて救おうとされる
それを感じられて、自分なりにではありますが仏様との繋がりを感じられたと思います
今、目の前にいる人が年齢、性別、経歴、肩書き、容姿、国籍に関係なく、仏様として向き合う
それが千年前であっても現代であっても変わらない
ずっと変わらず仏様として向き合う姿を見て、自分もそのようにありたいと思います
自分の心に地獄(不平不満、怒りや憎しみ、妬み嫉み恨み、怠惰、自分勝手、我が儘、傲慢)があると日常は地獄のようなものになり、更にはそのような心で接する事で関わる周りの人達をも地獄に巻き込んでしまいます
しかし自分の心が天国や極楽、神様や仏様のような心で過ごせば、それが自分の幸せになり、周りの人達や世の中の幸せになって行く
そうした生き方をしたいと心から思っていましたし、それをこれまでよりも強く願うようになりました
自分に訪れるものは全て自分が引き寄せたものです
それが幸せや不幸、欲しいものや要らないもの全てに必ず意味があります
その全てを受け入れて、理解し、自分の為、周りの人達の幸せの為に生きて行きたいです