カタカムナを語る10 

相撲は何故ご神事なのか?

「日本における相撲の最古は、『古事記』葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を掴んで投げようとした描写がある。(中略)、これが相撲の起源とされている。」(ウィキペディア)

隼人同士の相撲としては、天武天皇十一年(682年)7月、九州の隼人が大勢きて国の特産品を献上し、朝廷で大隅の隼人と阿多の隼人が相撲をとり、大隅の隼人が勝った、とある。(『日本書紀』巻第二十九 ウィキペディアより)

聖書に、イスラエルを建国したヤコブは、神と相撲を取ったとの記述がある。

さらに、相撲は沖縄に古来から伝わる格闘技の一つである。方言ではシマとも呼ばれる(ウチナージマともいう)。
(カタカムナ学校初級3-1より)

上記したように、相撲の起源は古く、神々との繋がりも見られるのです。

相撲はカタカムナの統合の儀を表し、ゼロ空間から生命を生み出すフトマニを御神事としたものです。

フトマニについては、カタカムナを語る5で、
「フトマニとは、二つが統合したマに圧力がかかると読み解け、二つが統合したマとは、カタカムナの核(根源)のことです。
+と-が重なって打ち消し合って圧力がかかりゼロを作り出します。
+と-が重なって打ち消し合って圧力がかかりゼロを作り続けてエネルギーが充満した時、生命エネルギー(草薙の剣)が外に出てくるのです。」
と説明したのですが、+―=0のところが土俵であり、行司の「はっけよいのこった」の言葉で二人の力士がぶつかって、全力を出し切って力が勝ったほうがゼロを抜け出し、ゼロ空間から生命を生み出す戦いを御神事にしたのが相撲なのです。
つまり、カタカムナのゼロ空間から生命が生まれ出る(現象化)ということが御神事としての相撲で表現されているということです。

ちなみにカタカムナ学校校長の吉野信子先生は、今年2022年2月22日に出版された『カタカムナ形(かた)霊(だま)の超空間』の第5章「伝統や遺物に隠された意味を知る」の最初の小タイトル「相撲はカタカムナゼロ空間を表している」の初めに、「日本の御神事に「相撲」がありますが、これはカタカムナの統合の儀を表し、その〇の中の「+」が「土俵(輪)」の外に一人、押し出すことで「マイナス=-」になる。という原理を表しています。つまりフトマニの内が外になる。陽子(+)が電子(-)を作る。そして、次の取り組みで、また外から結合して、マイナスがプラスに…を繰り返すことで生命エネルギーを作り出す原理です。」と書かれています。
フトマニの内を潜象界、陽子(+)を潜象エネルギー、フトマニの外を現象界、電子(-)を陰の現象エネルギーと考えれば、イメージしやすいと思います。