以前「カタカムナを語る6」で、

「私たちが知っている勾玉は実は半分(物質)だけで、そこには見えないもう半分の世界が存在しています。
勾玉は見える物質で見えない世界を表現していて、見える世界(現象界)と見えない世界(潜象界)が一つになってエネルギーや生命が生まれていると考えるのがカタカムナの考え方です。
勾玉とは、曲がった玉ということで、潜象界と現象界の二つの曲がった玉が一つになっているということです。曲がった玉である陰と陽が統合して球体となるのです。宇宙のエネルギーは全てこの形になっている(相似象)のです。」

とお話ししたのですが、吉野信子先生に降りてきた48音の思念と数霊そして形霊で、日々言葉や文章を読み解いているうちに、次第にそのことを実感するようになりました。
何度も何度読み解いていると、自分でも思わず「凄い発見!」と思うような読み解きも幾つかありますが、読み解いたものはしょせん現象にすぎず陰であり幻にすぎないのですぐに消えてしまう。だからまた新しい読み解きをすることになります。
もちろん、パソコン等に読み解きを保存してはいますが、読み解いた当人の私は、読み解くと同時にその読み解きを忘れてしまいます(=読み解くと同時に消える)。
現象は、次々と消えて変化していきますが、その読み解きが生まれてきた本質(根源)の潜象は、見えないけれど、消えずに存在しているのを感じています。
読み解けば読み解くほど、本質である潜象は深まり新しい次元に入っていくのを感じます。
それと同時に現象も変化します。
それまでの読み解きとは全く違う読み解きが突然閃きます。
そうして、見えない潜象世界では広がり深まる妙なる感覚が沸き起こります。
幸せとはこのことか?愛とはこのことか?という思いを抱きます。
そして、自分が何のためにカタカムナを勉強し言葉を読み解いているのかを知るのです。
言霊の世界そしてその響き(特に日本語の母音の響き)は、目に見えない深くて妙なる世界に繋がっています。
私は、目に見えないその世界こそ宇宙なのだと感じています。
宇宙は、自分から遠い星の世界などではなく、自分の潜象世界そのものだと感じます。
私の勾玉は、ロシアのマトリョーシカ人形🪆のように何層にもなっていて、現象界では良きにつけ悪しきにつけ毎瞬毎瞬私の目の前に現れる全ての現象であり、潜象界では深く妙なる愛の世界として、陰の現象と陽の潜象がセットになっているのです。
現象と潜象のどちらにも偏ることなく、両方を感じることこそ、勾玉から生まれてくる生命を大事にすることであり、真の私そのものを感じて大切にすることなのだと思われてなりません。