自分の部屋から空と海と神戸の街が一体になっている風景を見ていたほんの一瞬、「全ては一つに繋がっている!」という感覚があった。
もちろんすぐに空・海・街・車・人…と名前で分けて考えてしまうのだけれど、…
だから、全てが一つの世界というのは物の名前がない世界のはず。
言葉で名前をつけて一つずつ物を分けるから分離した世界になる。
きっと生まれて初めて世界を見た赤ん坊には、全てが一つに見えるはず。
「私があなたのお母さんで私の隣にいる人があなたのお父さんよ」
「あなたの名前はかぼちゃでお母さんはなすびでお父さんはすいかよ」
「これがテレビで冷蔵庫で炊飯器で…」
全てが一つであった赤ん坊の世界は、成長するにつれて言葉が増えて物の名前が増えて、だんだん世界が分かれていく。
それは人間にとっては当たり前のこと!
人間にとっては当たり前だけれど、言葉を持たない動物や植物はそうではないだろう。
きっと赤ん坊が初めて世界を見た時のように、目の前の世界は一つに繋がっているのだろう。
私達大人にも生まれたての赤ん坊の頃があった。
世界を分ける言葉を知らない動物や植物と同じように、目の前の世界が一つに繋がって見える赤ん坊の頃があった。
その感覚をどこかで覚えているから、ほんの一瞬でも「世界は一つに繋がっている」と感じたりするのだろう。
カタカムナで私(ワタシ)の思念は、「調和(ワ)から分かれる(タ)現象(シ)」であり、数霊は「7(ワ)+26(タ)+23(シ)=56→5(イ)6(マ)→今
調和から分かれた現象である私が、今を感じて今を丁寧に生きれば、きっと全てが調和し一つだと感じることができるのだと私は信じている。