最近耳にする【在宅死】
昔の日本では当たり前の在宅死だったのですが
支える家族も、医療者、福祉職も
【病院死】がスタンダードの時代に育ってきました。
小さいころ見ていたドラマでは
病院にかけつける!
息が止まる数秒前!!
「あ、ありがとう・・・」といって息を引き取る(ご、ごめんね・・・バージョンもあり)
という情景が目に浮かぶのではないでしょうか?
そんな世代が看取る側の今の日本は
医療保険破綻という
経済的事情を背景に
再度【在宅で自分で死を決める】という時代に突入
知らない世界、怖いですよね~。
私も看護師になりたての頃、病院で初めてなくなる方を担当した時
在宅に移ってきてから、初めて家で亡くなる方を担当した時
知らない道を家族には悟られないように進むのがこわかったな~
在宅での看取りと聞くと
家族を支えるサポートチームも肩に力を入れがち。
でもね、人間は植物と同じと考えてみて。
人間も最後は枯れていくんです。
草木がその種類ごとに枯れる時期が違うように
一人一人が人生の
花を咲かせたり
種をつけたり
光合成を終えたりすると
枯れる時期が来る。
植物と人間が違うのはどこで枯れるかを選べるということ。
幸せですね。
最期までその人らしい人生を送るには
どんな枯れ方がいいだろう。
それにはどんなサポートが必要だろう?
そんな話を専門職としながら決めて行けるのが
これからの【在宅死】です。
在宅での看取りが絶対ではない
在宅
施設
病院
望むところで受け入れてくれる人達と
笑いながら過ごせる事が大切。
【在宅死】は最後までどう生きたいかを自分で考えるということ。
突然気が変わってもいい。
それを受け入れるのもサポートチームの役割。
私が大学病院で看護師としてスタートをした
22年前は病院で亡くなることがスタンダード。
家族も本人も本当はどう思っていたんだろう・・・。
(それ以外の選択肢を思いつかなかったとも言える)
在宅看護に移った15年前はまだ
最後は病院か施設で・・・と思っていた人の方が
多かったな~(家族の希望も含めて)
今は、選べる時代。
でもどう選ぶかがわからない。
死ぬのも初めて(当たり前)
大切なアノ人を失うのも初めて(その人は唯一無二の存在だものね)
患者さんの人生舞台のエンディングに突然脚本、演出家で在る
医療チームがまだいるけど・・
これから在宅死が増える日本の社会で
再度【誰の人生か?】【この人たちが選んできた人生を尊重する】ということを
考えてみて欲しいと思います。
沢山話して
亡くなる本人も
支える家族も
サポートチームも
同じビジョンを見ながら進んでいけるように
訪問看護師は不安な家族の【話を聴く】、【寄り添う】、【どんな決定でも正解であると全面的に支援する】
最後の時間に必要なのは先導者ではなく
伴走者、もしくは後方支援者であることを忘れない
最後までお読みくださりありがとうございます。
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