3年。お空はどうですか? | やさしくやさしく…ツヨク。

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『やさしくてつよい人になる』を目標としている普通すぎる主婦の私が綴るゆるい日々のあれこれ。乳がんサバイバー(2021.2月~HER2陽性タイプ)
*大好き♡→家族・愛犬たち・嵐(櫻葉さん)・家·親友♡
*エンパスタイプな私のことや病歴など詳しくはプロフィールへどうぞ☆


今日は実父の命日。

59歳で旅立って3年が経ちます。


空はどうですか?
父の両親と弟
そして
父の娘である私の妹
そして そして
私の娘と楽しく過ごしてますか?


3年前の今頃はまだ病院で
葬儀屋さんの到着を待ってたな。






14歳で両親が離婚し、
父と離れて約25年。
全く会ってなかった訳ではないけれど、
病に倒れた父から連絡を受け、
息を引き取るまでの一年間は
25年振りにギュッとつまった
親子関係を築けた
大切な時間だったのかも知れない。


父は良い父ではなかった。
手を上げることも多く、
顔色を伺う毎日。
辛くて辛くて仕方ない日も。


病に倒れてからも我が儘放題。
気に入らなきゃ怒鳴る。

でも、
でも、

最期の1ヶ月はさすがに弱気で。


母は再婚し新しい家庭を築いてるし、
たったひとりの妹も他界しており、
父の病院に通えるのは基本私だけ。
お見舞いには従兄弟たちも
行ってくれてたけど、
さすがに洗濯を頼んだりは出来なくて。
母は私を気遣って精神的に
すごくサポートしてくれてたけれど。



3日に1回
電車を3回乗り継いで病院に通い
父の洗濯と乾燥が終わるまでの
3時間を父と病室で過ごす。


主治医に呼ばれる度に短くなる
余命宣告。


今、思い出しても
最期の1ヶ月は私は本当に
精神的にも体力的にも限界でした。




朝6時前に病院から危篤の電話を
もらい、慌てて準備し電車に飛び乗る。

2回目の乗り換えを終えたその時に
また病院から電話が入り、
『あとどのくらいで着けそうですか?』
と、聞かれ
あぁ……もう本当にダメなんだなと覚悟した。


病院に駆けつけて約2時間後に旅立った。


最期の瞬間を
父をひとりにすることなく
迎えられてよかった。

父とはいろいろあったけど、
いいことばかりじゃなくて
ううん、
いいことなんて本当に少なかったけど

でも
でも

ひとりで旅立たせなくてよかった。


見えてるかわからなかったけど、
最期に私をじっと見ていたから。

夫と子どもたちは最期に間に合わなかったけど、最期の景色に誰もいないのは
きっと寂しいでしょ。
だから私だけでも間に合ってよかったって
今でも心底思ってます。










空はどうですか?

私は元気です。

生きていれば62歳ですね。

私の歳に20足せばいいので
わかりやすくて
つい歳を数えてしまします。



空からみんなで見守っていて下さい。



恥ずかしくないように
頑張って生きていくので。