『天と地の間に立つ人間の身体』 | 青空アロマテラピー!

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ココロ、感じるままに空に投げたら、きっと輝く虹になるっ

Facebookの方で、書いたんだけど
中国武術の稽古をしていたら、
「エネルギーの流れが足から伝わって拳に伝わる」
っていうのが
あ、これか!?と発見することがありました。

私はかれこれ中国武術に出会って20年経ち、
八卦掌を、楽しかったり諦めたりwしながら
続けているのです。

その、エネルギーが足から螺旋を描いて伝わる

というのが、
どうも観念的でよく分からなかったんです。

あ、こういうこと?
と思うと、実にリアリスティックに
筋肉の動きの連動として感じられるのです。

そして、
足の始まりは「みぞおち」だと
Facebook記事に書いたのです。

その後、読んでくれた方から、
確かにそう感じると身体が安定する、
特に足首がグラ付かないと、
感想をいただいたのです。

今回アップするのは、
そこからさらに考察したもの。

気づきというのは、
「当たりの紐飴」だそうです。

紐を手にしたなら
紐の先にある飴をしっかりとゆっくりと
引いて手にしなければならない。

だから、私はこの自分の身体での発見を
大切に味合わないと。

味わう前から決めつけないのが肝心。


ではでは、「その後」お読みください。


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足の始まりは「みぞおち」って話。



エネルギー関連のこと、

例えば気功とか丹田呼吸法とか、
菜食、玄米食とか、
昔の人の重心の低さとか、
今風に言えば『「縄文」的』な、

そういう知識&経験があると
丹田が中心なのでは?
少なくともアジア人は、
と思いがち。



実際私も思ってたし、
和のスピリチュアルを探求してた20代は、
明治以前の身体を良しとして、
そういう身体を感じたくて
合気道など習ってみた。


格闘としても重心を低くするって
勝機がある。

だけど、生活自体はもうすっかり
和室もないし、
あったところで胡座かいてるし、
重心の低い生活してなかったんだよね。


もしかして気功なども、
なんちゃってな程度にかじっただけだから
重心について勝手な解釈だったかもしれない。


明治以前の人には会ったことないし、

江戸時代も見たことないし、

好きだった縄文旧石器も

発掘現場にいたところで
結局はファンタジーの域を出なかった。


アジア人の、いや日本人の
重心の低さにアイデンティティを求めたのは
踊り等身体表現を志すものとして、
バレエという西洋的正解に対する
コンプレックスが底にあった。



バレエをやっている人には
『足はみぞおちから生えている』
なんて、当たり前なんだ。

私もバレエのレッスンの時は
そう言われたよ。

でもそれは、
バレエは身体を引き上げているから
なのだと思っていた。



中国武術の、

「大地からのエネルギーが足を通って拳に伝わる」

というのが、
この間、ちょっと分かって、

仙骨、あるいは丹田からのエネルギーを
あらためて考えた時、

それは座位で感じるエネルギーだった。


瞑想とか、動いてない時。



そう、丹田は確かにエネルギーのセンターなんだけど、
みぞおちから足まで繋がってる時の方が、
動きがいい。


つまり、
センターにしてる場所は一ヶ所じゃないんだ。


って気がついた時、思い出したのが
写真の重なり合う三角。
(通常は下の三角が黒い)




ドイツでオイリュトミーの授業の始まりに
散々やってたやつ。

 
『私の足は大地をしっかり踏みしめます。
私の頭は光の中に輝きます。』



という文言とともに
オイリュトミストは
足を大地に手を空に広げて立つ。


それが人間なのだと。



三角は和じわっている。

重なっている。

上の三角の始まり(頂点)は丹田
下の三角の始まりはみぞおち。



そんな風に思ったら
なんだかとってもワクワクしてきた。


そして、

そして、

もうひとつ。



筋肉的?に、
足の始まりはみぞおちで、
では、腕の始まりはどこだろう?




腕は肩甲骨から伸びていて
僧帽筋や広背筋も使っている。
(これはヨガの先生に習った)


胸椎12、いや、広背筋ならもう腰から、
手は生えているんだね。


腕を使う時、
背中から使うと優雅だよね。

また動きながら考察していこう。


なんか、ほんとに、楽しいよね。

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