「すみません」から「ありがとう」へ・・・ | あおぞらエステート社長のブログ

みなさん、おはようございます。おはよう


昨日の昼間はホントに暑かったですねえ。


気温は27度くらいまで上がっていたようです。


まるで初夏を思わせるような天気でしたが、


今日はもう朝から太陽の光がまぶしい状態です。


昨年は5月16日からクールビズを実施しましたが、


さて今年は、どうしましょうかねえ・・・


猛暑にならないことを祈りるばかりであります。



さ~て、今日は、こんなお話をいたしましょう。


「すみませ~ん、どなたかいらっしゃいますか ?」


「先日はわざわざお越しいただいてすみませんでした。」


「せっかくのご厚意を無にしてすみませんでした」


私たちは日本人はホント、「すみません」をよく使いますね。


実は、この「すみません」の元の形は


室町時代の狂言の『小原(おはら)の梅』に出てきます。


寺の庭で花見の酒盛りをしている女たちを見て、


寺僧が、「心もすまされぬによって・・・」と言ったんです。


「心が澄まない」、「落ち着かない」という意味なんですねえ。


そして、この「すまない」の反対が、「済(す)む」ですが、


「心が澄みきる、すっきりする」の意味の「澄む」が転じたんですね。


「すみません」は「すまない」の丁寧語になるわけです。


やがて江戸時代になると、


言い訳をしても心がすまない(すっきりしない)の意から、


言い訳が立ちそうもないことを言うようになっていきました。


これはさらに、事が決着しないという意味にも転じていきました。


そして、


さらに、さらに


「お礼を言ったくらいでは心がすまない」・・・・


つまり、「お礼の言いようもない」、「有り難うございます」


という使われ方が生れてきたわけなんですよ。




さあ、そこで今度は「ありがとう」ですが、


これは感謝の気持ちを表す言葉であることは明白です。


昔は、「かたじけない」とは言っても、


けっして「ありがたい」とは口にしなかったようです。


因みに「ありがとう」は「ありがたく」の音便で、


古くは、「難有し」と書いて、


「あることがむずかしい」、「めったにない」という意味でした。


それがどうして感謝の意味で使われるようになったんでしょう ?


古(いにしえ)から日本には、


世に稀なことは神や仏の力によるものと信じ、


神仏を「ありがたし」と拝んできたという歴史があります。


これは本来神は仏の力や徳をたたえたのですが、


それに伴って神仏に感謝する気持ちが湧いてきたんですね。


13世紀、日蓮の遣文には、


「法華経の御名を聞くことは・・・ありがたき事なり」


と早くも感謝の意味も含めて使われていたんですね。


そして、江戸時代も元禄時代以降になって、


完全に感謝の気持ちを表すものとして意味が確立されたようです。


さあそこで、みなさんは感謝の気持ちを相手に伝えるときは


「すみませんとと「ありがとう」どっちを使うことが多いでしょうか ? 会社おやじ。



参考ブログ
http://ameblo.jp/aozora-home/entry-10852026648.html



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