きっと上手に飛べるから

きっと上手に飛べるから

誰にもできないようなヒミツのおはなし、あなたにだけしちゃいますね・・・

Amebaでブログを始めよう!
久しぶりの更新です。

なかなか更新しなかったのは、
このブログを忘れていたからでも
お兄さまの存在を忘れていたからでも
決してなくて
ただ純粋にスピ系の事柄から
自分自身が離れていたから。

新しい命が授かってから
駆け抜けるように年月が過ぎて
子育てとか家庭とかお仕事とか
いろいろ忙しすぎて
神様も少しお休みをくれていたのかなw

龍ちゃんの三回忌も無事に終わり
我が家はいたって穏やかであります。



さて。

そんなことでその三回忌のため
先日1年ぶりにバンパイア様がご帰郷され
わたしは見事にエネルギーバンパイアされました(笑)

1年に1度、多くても2度程度、
しかもほんの数日しか会わないのに
私は毎年凝りもせず、我が血を提供してしまう。

バンパイア様にお会いすると
不思議なことに
『わたし』という存在が
ものすごく劣っていたり
足りないもの、相応しくないもの、
そのままではいけないもののように感じてしまう。

どこかありのままの自分でいてはいけないような
自分を苦しめる道へ進まないとそれは間違っているような
そんな気持ち。

きっと、自分とは違った価値観や存在なんだろうなぁ。

一応家族なのだから
仲良くしなくてはいけないと思うのだけど
やっぱりどうしても苦しくなってしまう。
だからといって
さすがにこのことばかりは夫にも相談できないし。

そうは思うが
今まで生きている人にそのことを相談したことがない。
だから決まってわたしはいつも
自宅で一人になったときを見計らって仏壇に手を合わせた。

すると毎回決まって龍ちゃんは
ママは間違っていないという。
そのままでありのままでいいんだよ、と。
疲れたね、大変だったでしょう。と言われ、母、涙止まらず(笑)

先日、暗い気持ちのまま
かなり気心の知れた友達夫婦に会いに行った。

開口一番、
『私はありのままの私で生きていてもいいの?』
と半ベソでつぶやく私に向かって二人が
一瞬動きを止めた後、目じりを下げて思いっきり爆笑したw

どうやら
泣きそうな私も超ネガティブ&マイナス思考な私も
まったく私らしくないようだ。

なんだよー!真剣なんだぞ、こっちは!

一通り最後まで話を聞いてくれた友人が
『じゃあその人みたいに人の悪口を言ったり
 媚をうって生きていったり
 結果的に友達が一人も居なくなったり
 職場で自分以外の人がみんな辞めていくような
 そういう人生にかおりんもなりたいの?』
と聞いたそばから
『やっぱり、人を悪く言っているかおりんは想像もできない』
と勝手に結論付けてくれた。。。。。

そうだよ、だってできないもん。

私は、人の悪口にお付き合いができない不器用な人間です。
それは私が人を悪く思わ(え)ない性格なのだから仕方がないのです。
私は、夫も夫の父も母も兄もみんな愛しているんだもん。
悪口なんて、どこつつかれても出てこない。
そして、いろんなところが足りない不完全な人間も、私なのです。

もう、それでいいんだと思って生きていくしかない。



そういえば、法要のときにお坊さんが言っていた。

生まれてきた子に穢れなし。
穢れなく、清らかな心にしか見えないものがある。
見えないものを見たり、聞こえない声を聞きたければ、
いつまでも清き心で生きるべし。

いろんな人が生きる不浄なこの世で清らかに生きることは難しい。
でも、きっと私はこの不器用な生き方しかできないんだと思うんだ。
そしてそれを
きっと周りのみんなはもうすでに分かってくれているような気がする。

帰り道、たまたま車で流していた
ミスチルの『終わりなき旅』という曲に励まされた。

今にも死にそうな私を笑い飛ばし、
今のままのかおりんが好きだよと言ってくれた友達に
思いっきり笑われたことで逆に励まされ
柄にもなく
生きていることすら申し訳ないと思うほど落ち込んでいた自分に
なんだか自分もだんだん笑えてきて、信号待ちで泣くほど笑った。

バンパイア様にも感謝してるよ。
この先永遠に分かり合えなくても、いい。
彼女にもたくさん幸せが訪れることを私は祈っています。
ツインさま、ツインさま。




今日という日が
あなたとあなたのご家族にとって
素敵な一日になって良かったですね^^

まずは一番がんばったあなたに…
よ~し。よ~し。良い子。良い子。
よくがんばったね。むぎゅむぎゅっ。




地球の時間はいつも急ぎ足。

今日はあっという間に終わり、
気がつけば1年が過ぎていて、
一生は瞬きほどしかないのです。




だからどうか、
今生で選ばれたご家族を
どんなときでも大切にされてください。

みじかい一生を
いのちある限り
大事に大事にいたわって
まっすぐまっすぐ愛しとおしてください。




ぶつかりあうことを
すれちがうことを
傷つけあうことを
決しておそれないで…
それはふたりの距離を縮めるための
愛の行為にすぎないのですよ




そしてあなたが愛したのとおなじだけ
家族に、友達に、関わってくれるすべての人に
あなたがいつも深く愛されますように。




私が周りの人たちを大切にするのは
愛する人たちに恥ずかしくない人生にするためです




あなたには
世界で一番しあわせでいてほしい

それがなによりも
私のしあわせになるからです

そうして私も
あなたに負けないくらい
周りの人を深く愛しながら
しあわせと言える人生をつくりあげていきます




あなたの笑顔とあなたの愛する人たちの笑顔
いっぱいいっぱい花開きますように。

素敵なご夫婦に…
イチゴのロールケーキと共に…^^
一昨日の夜のお話。




最近はなかなか寝付けない日が多い星




冬の夜は足が冷えて
誰にくっついてもそう簡単にはあたたまらないから雪の結晶




一昨日の夜も
いつもの様にお祈りを済ませて
だいたい午前1時近く
眠れずに足をモゾモゾさせていたら
突然左の目の中に(目は閉じていた)
ものすごく大きくて綺麗なグリーンの光が
スーーーっと入ってきた目




うわぁーーーーーーーーーーーーーって思ったけど
すっごく綺麗な緑~黄緑色のグラデーションの光流れ星




不思議と怖くなくて何の抵抗もなく受け入れられたクローバー





なんだったのかな。





むか~しむかし
makanaさんのリーディングの最後に
目の前にあるロウソクの炎が
私の右目の中にフワ~っと入ってきたのと同じ感覚だったなぁ・・・
お誕生日おめでとうございますブーケ1



今年も
あなたが生きていてくださるこの奇跡に
こころから感謝しますキラキラ




今回の地震によって
生きていることは決して当たり前ではないことや
命の重さや大切さを痛感しますね



これからも
与えられた命を輝かせながら
沢山のしあわせに包まれますように
愛と平和の中で心穏やかに過ごせますように
いつも遠くからお祈りしています黄色い花




どんなときも応援しています☆




そして
あなたを産んでくださったご両親に
あなたへ送る気持ちと同じだけの
愛と感謝を送らせていただきますブーケ2
母の心の傷は深い



娘の私は
何年もかけて
少しでも癒そうと
少しでも寄り添おうと
思って結局癒せない傷だ



もしかしたら
彼女の傷は一生癒せないのかもしれない






トラウマを解消させようと
一緒になって闇に落ちるのは
すごくすごく疲れるし
話を聞くだけでも消耗して
回復するのに時間がかかる




一時癒せたかと思っても
またしばらくすると振り出しに戻ったりもする




私はいつも不必要な傷を負って
後味悪く不快感に苛まれる








だけど。
これは母の傷であって
私の傷ではないんだ



癒すのは私じゃく、彼女自身。



本人が気付き、
癒そうと努力しない限りは無理なことなのかもしれない






世の中の罪無き子供が
親のトラウマによって傷つけられる



親の傷に+αで親に付けられた傷も背負うというの?



かなしみの連鎖






私はそうはならないと決めた




彼女のトラウマが表出するとき
傷を見せられても
自分は一緒に傷つかないようにする




もう無理に癒せとは言わないよ
変わってほしいとも言わない




かなしみはかなしみのまま
くるしみはくるしみのまま
彼女の心にとどまって
また時折顔を出すのを
私は少し離れたブロックの外の
安全な場所でただ見守ることしかできない





それが今とこれから後
私にできる最大限の愛であると認め
同時に
抱きしめて癒そうとして
また傷つくことからも開放されます
久しぶりにブログを更新しているから
何から話せばいいのかな。と考えてしまうね



詳しいことなんかは
いつか時間があるときに書くとして
まあ、近況報告みたいな日記になればいいかな。






今は色んなことが落ち着いて
とても穏やかな日々を過ごしています



亡くした命の重さはしっかりと感じとり
自分(たち)の中に含有しながらも
今はもう
ただ悲しみにくれる日々を送っているわけではなく
しっかりとみんなが前を向いて
ちゃんと生きているといった感じです



彼が私たちに示してくれた最善の道しるべを
それぞれ皆が正しく進んで行くことは
残された私たちの使命でもあるのだと
しっかりと理解した上で
私自身も
彼が与えてくれたチャンスを私なりに全うするために
(次の生に夢や宿題を残さないようにするためにも)
今は毎日朝4時半に起きて、朝からお勉強しております















さて、少し話は変わりますが
私がいつも夜眠る前の感謝のお祈りをする中で
毎回出てくる『お花畑』



お祈りの最後に、このお花畑から花を摘み
ひとつひとつ花束を作って
日頃からお世話になっている人たちや
かかわってくださったすべての方たちに贈っています



ここはもうすでに数え切れないくらい行っているから
本当に行きなれたところだし
いつも不変で鮮明で素晴らしい場所であります




この世のどこかにあるわけではないし
ただ妄想の中に存在する場所にしては
あまりにも現実味を帯びている感じがしていたのですが
最近になってそこは
この世からあの世へ行く途中に通るお花畑だということが分かりました




なんで私がそこへ毎日行けるのかは
未だもってナゾですが・・・




毎日大勢の方に沢山の花を摘んで贈っているにもかかわらず
翌日にはまた、全ての場所がぎっしりと花で満たされているのです
そればかりか、枯れた花は1本も見当たりません



私には、小さなフェアリーたち(に見える)が
見渡す限りのひろーーーーーーーーいお花畑の
空いたスペースにせっせと種を蒔き、水をやり、花を咲かせ
また、枯れた花は人目に付く前に摘み取ってあげているように思います




昨日の夜に、またいつもの様にお祈りを済ませ
「今日はここにあるすべての花の色で花束を作って贈りたいのです」
とお願いしてみたところ
まあ、なんとやわらかで淡く優しげな色で仕上げられたことだろうと
うっとりしていたのを覚えています




そこで分かったのは、
お花畑=愛であり、愛とはつまりどれほど沢山、ほかの方へ贈ったとしても
決して無くなることはなく、尽きることも、枯れることもないのだということ。
そして無くならないばかりか、
愛は次々と溢れ出し、いつでもすぐに満たされるのだということも。




また、真の愛の中に悲しみの色はなく
どれも淡く優しげであたたかいのです。








感謝のお祈りも、愛の花束も、
それは平穏な日々だけでなく
龍ちゃんが亡くなった日も
お祈りをはじめた日から今日という日まで
1日足りとて欠かすことはありませんでした。




それはつまり
どんな出来事を経験しても
それがどんなにつらい試練を与えられた日であっても


「あなたはそれでも
 すべてのもの(人)たちに
 愛と感謝を持って生きていくと誓いますか?」


と神様に聞かれているかのようで
私はその度ごとに


「はい。誓います。」


と答えていたに過ぎなかったのだと思いました。




あの、悲しみに暮れた日でさえ
すべての人に
今までと少しも変わらない愛と感謝の気持ちを持てたのだから
これからも、この気持ちが変わることは決してないでしょう。




私の人生に何があっても、
愛を送る先の誰に何があっても、
その愛と感謝の気持ちと大きさと深さは
なにひとつ変わらないのだと、そう誓えるのです。




また、愛と感謝を贈った先の方が
その愛を感じ取って下さっても下さらなくても
それは決して重要ではないのです




だから、これを読んでいるあなたが
たとえどの様な状況におかれ
どの様な心境の変化があったとしても
私から贈られる愛は永久に不変です。





あなたが生きていても、体がなくなっても、
近くにいても、遠くにいても、会えても、会えなくても、
今までも、今も、これから先も、ずっと、ずっと、
あなたがあなたであり続ける限り
私はあなたのすべてを愛し、愛を送り続けるでしょう。




またその愛は、限定する個人に対してでもあり、
すべての生きとし生けるものに対してもそうあるつもりです。





そうして生きることこそが、私そのものなのです。












そのことをしっかりと認識できた朝、
10分間の仮眠の中で
龍ちゃんは最期の想いを伝えに来てくれました。




最期の時、
彼の消え行く命を腕に抱き


『今まで本当にありがとう。私たちの元に生まれてきてくれてありがとう。
 これまでも、あなたをずっと愛してきたし、
 これから先も、ずーっとあなたを愛しているからね』


と泣きながら伝える私に
もう動かないはずの龍ちゃんは
今まで見せたこともない程の笑顔を私と天使ちゃんに見せ
人生最後の役目を終えていくのでした。





ありがとう。
彼の命に。私たちの命に。
そして沢山の、愛と感謝に。
最初から
天使ちゃんのことが落ち着いたら
会える約束になっていたんだね





初めて夢に出てきてくれたのが2月。





本当は5月に会えるはずだったけど
天使ちゃんの初めての外泊に重なって断念…





そして今回、ようやく会えるみたい





彼は真の愛の人・・・





愛の学びにこの出会いは必要なのかな?
それとも、ご褒美?













夫婦一緒にあなたの愛に触れて
この2年分の愛を充電させていただきます





愛と感謝のもとに。
今、本当にたった今、
思い出した。





横になって、
眠りの世界に引き込まれそうな体を
反射的にガバッと起こしてしまう位の衝撃だ。









今生の人生の目的は沢山ある。

神様との契約、カルマ、約束、再会、誓い…

数ある宿題に、約束通り自分なりに取り組んで
ひとつひとつ地道にクリアしてきたこの人生。
これからも、乗り越えなければならないこと、試されること、受けとるもの、
まだまだそういった課題がいっぱいあることも分かっている。





すべてを理解した上で
与えられた宿題にコツコツ真面目に取り組んでいたら
いつしかその過程で
長い間求め続けていた答えが見つかったんだね。





いま頃になって、ようやく気がついたんだ。
今回の人生の最大の目的を…















それは、
『今生の伴侶の夢を全力で叶えてあげること』だった





彼の夢、希望、幸せ、喜びを
私の人生をかけて、彼の望むまますべて叶えてあげることが今生の最大の目的だったのだ





そしてそれこそが
自分自身の最高のしあわせなのだと気がついた。





彼との結婚は
今回が最後になるかもしれないと
本当は心のどこかで知っていた





だから今は
期限付きの大切な時間を過ごしていることになるんだよね





ならばなおさら
来世に宿題を残さないように
互いに夫婦としての課題を今生でしっかりと成し遂げたい





彼をしあわせにする努力は
もちろん出会ってから今までずっとしてきたつもり。
だけどこれからは
今以上に共に生きる喜びや奇跡、
分かち合えるすべての出来事にひとつひとつ感謝しながら
大切に許された二人の時間を生きていきたい










長い長い魂の旅の途中で
彼には何度助けられただろう
何度自分の夢を叶えてもらっただろう





今度は私がお返しする番だ




人生は恩返しの旅





今まで以上に
たくさんの愛を惜しみなく与え、すべての夢を叶えてあげなければならないという使命にやっと気がつけた





今までしてきた様々な経験が結果を出した証拠とも言えるのかな?





だとしたら、それらすべてにありがとうと言いたい。





生きて、がんばってきて本当に良かったな





人生最大の目的と
それを思い出した時のこの奇跡の様な瞬間を
私は一生忘れないだろう。
昨日の夜
お風呂から上がって髪を乾かしながら思ったこと




私の髪は、肩から下がエクステンション。




エクステは
自分の髪の毛を部分的に取って
そこに人工毛を付けて髪の毛を延長させる




9月に付けはじめて
もうすぐ2ヶ月になるところだけど
この子が非常に絡まりやすくて困ってた




今まで地毛は
時間がなくてもなるべくちゃんとお手入れしていたから
髪の毛がくしに絡まることはほとんどなかった




だから
髪が絡まるってことは私にとって最大のストレス




サロンに行って簡単に取り外すこともできるのだが
付けてくれたのが、信頼している親友だったし
付けるときに『大切にします』と約束していたから
途中であきらめるのは嫌だと思った




で、お風呂で一人
エクステと格闘する。




「あなた、なんでそんなにからまるの?」
「付ける前は、あんなに輝いていたのに…」
「どうしてほしいのーーーー?」




と、シャンプーしながら問いかけたら(笑)
答えがひとつひらめいた。







絡まるエクステが悪いんじゃない。
エクステ=自分のものではない髪の毛
という私の解釈が悪かったんだ。




自分とは別のものだから
自分のものほど大事にしなくてもいい。って考え方が
心のどこかにあった




ここからここまでは「わたし」で
ここからここまでは「わたしじゃない」





「わたしじゃない」なら「わたし」ほど愛さなくていい





愛さないから、ほどけないし絡まって私を困らせる












なんだってそうなんだね。





自分の髪もそうだけど
自分と血が通っていようがいまいが
自分と遠かろうが近かろうが
自分にかかわってくれたりつながってくれるものや人々には
しっかり隅々までわけ隔てない十分な愛情と
いたわりを与えなくちゃいけないんだ





相手の言い分もちゃんと聞いて
その時々に必要なケアを最大限にする





絡まるのは癒されていない証拠





だから愛情という名のエッセンスを加えて癒していく
ちょっとずつ、ちょっとずつ
何度も、何度も、根気強く、根気強く・・・










友達だってパートナーだってその家族だって
所詮は血のつながりのない「自分以外の存在」





それでも大切だから
他人である相手を自分以上に大切だと思ったりする





たくさん愛してたくさんいたわって
そしていつしか関係はスムーズになる









自分じゃないけど
自分の延長線上には無限にいろんなものがつながっている





それをすべて愛することが
生きていくうえでは必要なことなんだね





と、エクステを隅々までトリートメントしながら気がついた












なぜだか急にやる気になった
人生初めてのエクステンション。





これを付けたのには
ちゃんと知らせたいメッセージがあったみたい





髪が絡まるというなれない事態も
結局はお勉強になったから良かったな~と感謝する








試しにエクステンションの正式な意味を調べてみたら
そのひとつに「手を差し伸べること」と書いてあった




手を差し伸べた先にある
出逢いやその先で触れ合ったすべてのものに
平等の愛を与え続けていける人生にしたいと思えた
そんな夜だった。
今日お洗濯をしながら思ったんだ




人生で一番大変だったときのこと





実はあのときが
今までの人生で一番成長できたときじゃなかったかな。と




年齢とか関係なしに
こどもからおとなへ変わるとき
保護から自立へ向かうとき
死ぬほど大変だった




変容するとき
さなぎから蝶へなるとき
何度も逃げ出したいと思った




だけど本当の意味で
人間としての成長は
あのときから始まったんだ







6年後のいま、どう思う?





あのときの試練、苦悩、努力、涙、
すべては無駄で、すべて無かった方が良かった?
乗り越えたときのご褒美、笑顔、愛、絆、
知らないままで良かった?





答えは「No」だ





あのときの経験が
今の自分に役立って今の自分のすべてを作っている
あのときの経験から生まれた成長は
痛い思いをしなければ
決して手にすることができなかった





だから良かった。
すべて良かった。
辛くて良かった。




もしかしたら
辛ければ辛いほど
苦しければ苦しいほど
難題であればあるほど
良かったのかもしれない。





今、色んなことが分かって
ようやくそう思うよ





あのとき分かってくれなかった人たちが
いまは私の最大の理解者になってくれるなど、
あのとき散々辛い思いをさせてくれた人たちが
いまは私の最大の協力者になってくれるなど
あのときは誰が思っただろう





さなぎが蝶になるときのように
変容するときはとても時間がかかる
しかしそれはどれだけ長くかかろうとも
かならず自分にとっては必要な時間なんだろうな













荒波のようだった日々が
今は宝石のように輝いている














一番辛い日にある人に言われた言葉を思い出す
「まだ気がつかないの?
 あなたはいま、神様に試されているんだよ」





そして今は毎夜お祈りをする





『今日あったすべての
 出来事・出会い・会話・ふれあい
 笑顔・感謝・愛・やさしさ
 試練・悲しみ・涙・つらさ・・・

 それらすべては
 みなさまが私自身を強くしてくださるための
 ギフトなのだということを
 私はしっかりと理解しています

 私はどんなことがあっても
 決して逃げず、投げ出さず
 すべてを感謝して受け取り乗り越えます』






すべてはギフトなのだ 





どんなギフトも受け取ること、乗り越えることこそ
私たちが生まれてきた本当の理由なのだと思う