13年くらいになります。


  私はサービス付き高齢者向け住宅を建てた


  実家から、真っ直ぐ直線で結べるような


  そこに、三階建てで、三階部分を


  居宅スペースに3LDk2世帯を作った


  実の姉世帯と共に


  共同出資ということで、


  しかし、土地は現金で私が。


  そして私の会社が借金して、


  保証人に姉の会社がなる。



  それでイーブンと言いながら



  姉は、



  今回は姉の話でなく、



  半年経ち一世帯が空になる。



  その直後、



  子供に早く寝なさい



  ふと外に目を向けると、


  直線上に火柱が



  赤く赤く高い。




  家が燃えてるように思う。


  視てよ




  主人に言うと、側に来て



  二人が顔を見合わせた時、




  携帯が鳴る



  〇〇、あんたの家燃えてる



  妹からだ、



  子供達に、ふたりで寝ておきなさいと



  

  実家は燃えていない。




  隣か火柱の元



  プロパンから火が絶えずふいている。



  ガラスが割れている



  実家前の看板から向かいの古い家から



  火が出ている



  実家を跨いで隣から火柱



  実家には犬がいる。



  番犬として紀州犬が



  吠えない、もう死んでしまったか?



  妹が裏から入り、番犬を出してくれた




  うちに来てから吠えるのを聞いたことがなかった



  まだ、消防車は来ない


  左隣からの出火。



  そこには認知症の老婆と夫がいる



  二人共に姿がない。



  ここには夫婦がいると私は叫んたが



  これだけ人がいるのかというくらい




  人に揉まれた



  やっと来た消防車。


  水が出ない



  消防署は同町にあるのに何故こんなに遅いのか?



  老夫婦の夫がどこからともなくすっと出てきた



  姿を見つけた



  小さな火種だった



  わしが電話する



  お前はみずをかけてここで消しとけ




  そんな事を言って外に出ていたらしい



  まだ、9時



  隣の家や近所に助けを求めればいい



  なのに歩いて電話ボックスに行くのか?




  奥さんを外に出してあげてれば。




  奥さんがいないのに




  火を眺めているのか



  私は彼を殴ってやりたかった



  鎮火したのは、日付が変わってからである



  10件も焼けた



  実家は、母屋と納屋、間に台所や風呂等がある



  築100年近い。



  平成になって、改修した屋根やトイレ



  そこだけ焼けた



 屋根が焼けたので全焼扱い



 昼過ぎて犬が、ワォーンと吠えた



  その時奥さんが見つかった



 警察の車両に乗せられ解剖に



 実家が屋根だけ焼けただけなので、



  消防や警察から



 すぐに処理しないでください



 検証するのに上から写真を取ったりしたいので



  協力をと言われた




 皆が手伝いに来てくれた時に出来ないと断った



  そう言いながら最後まで実家だけ

  


  片付けができずに



 どちらからも協力有難うございます



  そう言ってくれた時には周りは整備されていた



  火事の時には残酷で、市内の工務店や



  コボチ屋が私達被害者に名刺。



  火事でまだまだ燃えてる最中



  お見舞いと言いながら名刺



  こんな経験をした。



  地元だけでなく大きくニュースで



  死者1名などと報じられた



  後日、五万円を家人が持ってきた



  火事は何も求められないと聞いていたが



  娘さんが。



  これだけしかできないので



  他の人には、3万を包んだけど、



  生前母が世話になってるといつも言ってた



  有難うございますと。



  しかし、私の家がまだ手つかずの時に



  彼女の葬式をわりと大きく行った



  私と同じように類焼された方は、



  誤りにも来ていないのに、



  葬式を盛大にするのはと怒っていた



  不釣り合いな葬式のように感じたのは



  私も同感だった



  私は母屋は全焼扱い、台所は半焼


  納屋も。



  転居していたが、火災保険を10件うち、



  私の家だけがかけていた



  だから、片付けなども業者にしてもらった




  ただ、私の趣味のメダカの鑑賞に使っていた



  火鉢などを火元の家を片付けた方が



  勝手に持ち帰った


  

  実家は木酢酢の匂いで目が痛い



  土壁で中のものは残っていた




  しかし、仕事も始めたばかり



  てんやわんや



  もう、全てが止まったままだった



  養父から2階へはいかないようにと幼少



  の時から言われ、あまり上がったことがない



  燃えた屋根の隙間から



  神棚が見えた



  曼荼羅や弘法大師なども祀られていた



  整理する前に、継続して祀れないため



  色々なところに収めてもらった



  そうしてるうちに整理の業者が入り



  整理された




  看護の辞典やアルバムなど



  きちんと取って於けばよかったが、



  仕事の合間を上手に使えば出来たはず。



  しかし、パニックになってい

たのか、



  何も持ち出せないまま



  その後にお墓を作り変える時に



  気がついた



  家紋がわからない



  なんとなく覚えてたが、右重ねか左か




  何も持ち出さないで片付けたつけである。




  葬儀屋の知人に家紋集を借りたがわからない



  あなたが好きな方を選んで



  それがあなたの家の家紋です



  そう言ってくれて、もうその言葉に




  縋っている。




  一生で体験せずに終る方がほとんど



  しかも、自身が出した火ではない



  老夫婦の生前の生活を観ている中で



  色々思うところが多い。




  悲しい老婆の顛末



  私が問題にすれば、



  そんなことも日々思う



  もう、時効かな。