翁の方財=ただいま94歳=我が祖父 島髙重太郎を偲んで(7)神のご加護に感謝 | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

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神のご加護に感謝

「大将軍神社」と「蛭児神社」が合祭されたのは寛政3年(1791年)であり延岡城主は内藤政詔(ないとうまさつぐ)公のころ、このときの棟札には、神社の世話に当たった人々の氏名が書かれている、それには、
▽庄屋=甲斐直左衛門▽弁指=庄太郎▽組合頭=宗右衛門、松之助、七五郎、庄蔵、定治郎、弥兵衛▽頭取=共次郎、大蔵、六三郎、甚之助、武兵衛▽年番=児玉清兵衛、児玉佐吉  となっている。


このほか、文化9年(1812年)、文政12年(1829年)、天保13年(1842年)、文久3年(1863年)、明治15ねん(1882年)と書かれたものもある。
明治15年の裏面に「方財小学在勤・村上信用、明治15年9月26日奉書」とあるので、「方財小学」であったことが推察される。
少年時代から『神様を大切にせよ』と教えられ、心の支えとするためにも“おまいり“を続けてきた。
『神様の“おかげ“を忘れるなよ』とも言われ、感謝を捧げてきた。そして、少しでも人びとに喜んでいただけるようなことをしますと誓い、それを守りながら生きてきた。94歳になるまで元気に暮らすことができて、神のご加護であると深く感謝している。
その感謝の心を示そうと、神社への奉納を続けている。昭和57年11月26日に「のぼり」を奉納したのをはじめ、昭和58年11月26日には「のぼり竿・10 本」と「太鼓」。59年11月26日に「石燈籠」。
60年には、川口神社と稲荷神社、方財稲荷社に「石燈籠」。観音寺と同地蔵堂にも「石燈籠」を奉納させていただいている。これからも機会をみて感謝の心を捧げさせていただく決心でいる。
昭和42年に神殿の鏡を購入することになり、氏子総代の高島新蔵、中田久四郎氏と私が担当したことがあった。そのころ価格は13,000円であり、10,000円はすぐに支出されたが、あとの3,000円がなかなかできず、いろいろと協議を重ねたことを思い出す。

【メモ】
「日向地誌」には『方財神社=村社、本村(方財)ノ中央ニアリ。社地・広さ1反3畝27歩。事代主命、大巳貴命、瀬織津姫命ヲ祭ル。旧称・大将軍ト言フ。明治4年辛未、今ノ名ニ改ム。例祭・10 月30日』とある。
『安永8年9月25日の棟札は、表に「奉修復、大将軍社御本殿、成就村中安全守護祈修・方財島惣産子中」と中央に記され、右側に「日向延岡城主・内藤備後守政脩公」、左側に」安永己亥8年9月25 日夕遷宮、神主・甲斐長門守遠栄」とあり、裏には「清高島大工・団七」と記録されている  とある。


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