翁の方財=ただいま94歳=我が祖父 島髙重太郎を偲んで(3) | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

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翁の方財は、方財に生まれ一生自分の郷土を離れなかった私の祖父島高重太郎が自分の人生を振り返ってつづる「“翁の方財“ わが94歳の人生」は、小嶋政一郎著「方財島」のかゆいところに更に手を貸すもので、郷土の川や海浜や、一筋の小径、一木一草に至るまで昔を語るものの少なくなった今日では貴重なものになりました。


恩師よりの教訓

小学校4年を卒業しても、勉強は続けていきたかったが、進学することはできなかった。
生活が苦しかったこと、続けて登校できなかったことが残念でならない。
12歳からは、漁業をしなければならなかった。そして30歳まで熱心に働いたのであった。
小学生のころ、親しくしていただいた宮田竹次郎先生は、やがて北浦町の三河内に移られたということであった。よく家に行って、手伝いをし、プロわかしの加勢の水くみや、たきぎとりをしたものだった。優しかった奥さんのことも、よく思い出されるのであった。
明治45年になって、東京から竹次郎先生の手紙が届いた。お別れして8年ぶりであり、東京府麻生区長坂西町1番池とあって、懐かしく思った。その手紙には、次の歌が書かれていた。

▽親と子の心ひとつになるものか心を親にまかす孝行
▽親に孝をすれば我が子に徳つきて我も孝を受け心うれしいぞ




▽親不孝をすれば我が子に損かつき、老いて子うきめみるぞよ
竹次郎先生は、
「この3つの歌を忘れずに守りなさい」と書いてくださっていた。
私が勉強が好きなのに、進学できなかったことを知っておられ、こうした歌を覚えて実行しなさい。
と教えていただいたと思い、それからは、本を読んで心に残る言葉や歌があったら、しっかり覚えるようにした。。
また研修会や講演会にもできる限り出席して教えを受け、修養に役に立ちそうな言葉や歌を胸に刻みつけるようにした。
こうして覚えた歌や言葉を、常に愛唱して暮らしており、91歳になった昭和58年に手帳に書き留めてみたら、200近くあったので、「あ」「い」「う」「え」「お」、、、順に並べて吉田印刷会社(延岡市川原崎町)で印刷・製本してもらい「愛誦句集」として、親しい人々や、お世話になった方へ贈り、読んでいただくことにしたのであった。
その中に、私が作った短歌も加えた。





○90を過ぎてますます元気よく盆栽つくり楽しがりけれ

○3夫婦家内一同に暮らすこと類の少なきこのにぎわいは

○我が顔はまだらのシワにまかれても心はのびて光りゆくなり

○金婚を祝ってくれる子どもたち共に長生き金婚までも

○盆栽の松が緑に元気よくのびて行くのが楽しかりけれ

【メモ】
明治17年(1884年)に平部きょう南が記録した「日向地誌」には「方財島」とある。
それによると
方財島村=元禄15年(1702年)「日向5郡村形覚書」ニ、本村ノ名号見エズ、ケダシ元岡富村ノ字地ニシテ、元禄ノ後、1村をナシモノト想ワル。
境域=東南、海浜に至リ、西ハ岡富村。マタ少ナシク粟野名村ト五ヶ瀬川ノ下流ヲ以ッテ界(サカイ)シ、南は出北村ニ界イ、東北は川島村ト、五ヶ瀬川ノ下流ヲ以テ界ス。幅員東西凡5町、南北12町。


ここまでお読みいただきありがとうございました🙇🏻🙇🏻