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オレンジネコのブログ

 
 
すみません開始から1年以上たっても何がなんやら(笑)
ここのコメントもようやく少しお手入れ。
内容は統一感なく色々?やってます。
こんな感じですがたまに役に立つかもしれないことも書いたりなので、
もしよろしければお暇なときにでもご覧ください。

昔見た作品を再放送で見る。

やるせなさ、理不尽、すれ違い、間違っているようで間違っていないこと、間違っていないようでまちがっていること。

ほんとは内容に触れたいところですが、今はとりあえず思いのはしっこだけを。


やるせない。

心当たりがありすぎてしまったり、
なんだか実感できてしまったり、

誰かが正しくできた風になっていても、実はそれは誰かのおかげだったり、中身がなかったり、
酷い考えが実はその時とれるまだましな選択だったり。

なんかそんないろいろを思い出す作品です。

ずっと考え実感してきたものがありすぎて、少し辛い、そしていまだにその選択の答えを出せずにいるような感じが、共振して疼く。

とても好きな作品ですが、なんかため息も多くなる作品です。

ただそれは良し悪しではなくて、自分自身の自問自答として。

さて、もう一回深くため息をついて・・今日はここまで。

自分や自分の好きな人の幸せには、

「よかった」って喜べるのに、

それ以外の人にはそう思えなかったりしてしまう人がいるのはなんでなんだろうね・・

不思議だにゃあ。
人間様々な性格の人がいる。
優しい人、強がりな人、強情な人、暗い人、明るい人、友達が多い人、一人が好きな人、ネガティブな人、怖がりな人、自己主張の強い人、流されてしまう人・・

人間一人で生きている訳じゃないので、どこかで誰かとぶつかったり意気投合したり、嫌でも一緒にいることがあるかと思います。

それぞれが何かを許容したり譲り合って生きるしかないのですが、なんだかどうにもわかれというわりにはわかろうとしなかったり、こうだからと押し通すわりには受け入れない人が多かったりもします。

最近、相手が嫌だと感じればそれはいけないこと、みたいな考えが拡大解釈されてる感じがどうも自分には謎なのですが、一部の明らかに犯罪な行為は別として、これじゃ誰も幸せにはならないだろうなって思えてしまいます。

それぞれバランスだと思うのですが、
例えば人に強く出る人、自分の周りにもたくさんいましたが、嫌かどうかだけで見れば、それを嫌だ思う人はたくさんいました。
もう少し言い方かなんとかならないのかね・・と。

自分はそういった人の相手をしていて周りに心配されることもありましたが、まぁ時々頭にくることもあれど、実は言われるほどは気にしてない、というかそういう人だからこんなもんだよね、と思ってた覚えがあります。

あるとき、そんな強く出る人から、なんで同じ事をしてもあなたは怒られないんだと言われたことがありました、

自分にはなんのことかわかりませんでしたが、よくよく考えてみると、その人と自分の他人に対する言い様の違いがあるんだなと。

他者の間違いやダメなとこをどう伝えるか。
どう許容するか。

はっきりとものをいうのもいいのですが、相手のおかれた状況や得意不得意もあります。
理由は正しいとしても、そういった事情を考えたり、相手の立場になったり、自分の苦手なことに置き換えると、やっぱり言い様はかわってきます。

いってる内容は同じでも言い方が違う。

その差異は、いざ自分が失敗をしたり、何かに巻き込まれたときに違いとして出ていたのかなと。

別に強くいうことが全て間違ってる、とはいいませんが、相手に強く厳しく出る人は、自身も相手に強く厳しく出られると思ってます。

それはごく当たり前のことだと思います。

人には考慮せず強く出ていて、自分の時だけもっと優しく言ってくれはやっぱり違う気がするし、その当事者どうしの関係性ですでに強くいうことが標準になってしまっている可能性も高いので・・。

人間、相手がそうすると相手はそうしたやり方でいいと思ってしまうと思いますから。

でも、役割上強く言わなければ、私が言わなければ誰がいう?と思う人もいると思います。

だとしたら、同じ事をいうにせよ、より言葉を尽くし時間をかけてその説明も必要なんじゃないかと思います。

連絡したのになぜやってない!
と、言うなら、それだと困る旨を伝え、なぜできなかったのか相手の弁解ぐらい聞けばいいし、
アイツは出来ないと言うぐらいなら、出来ない人でも出来るぐらい密に連絡や指示をしお願いすればいい。

その上で出来ないならそこでまた考えればいいし、そもそも明らかに本人のいいかげんさや身勝手さがでるレベルまで掘り込めば、そこで相手の問題点を指摘もできる。

それでいいんじゃないかと思います。


なんとなく自分は寛容なような話になってますが、自分にも許せないものはあります。

理屈のとおってない怒りをぶつけるような人や、明らかに自身の問題なのを言われたくないと人に転嫁するような場合とかです。

自分達の安泰を守るために他人にぶつけるのはやっぱり人として違うし、個々の違いを許容するのとはまた話が違います。

先にも書いたように、苦手なもの自身のウイークポイントをむやみに触れられたくないなら、他人にもその配慮をするべきです。

もちろんそれで容赦されるとは限りませんが、少なくとも、その為に他人に転嫁したり、普段から他人に強く当たる人が願うよりは、誰かが汲んでくれる可能性があるんじゃないかなと。

互いに理解しあおう許容しようという気がなければ傷つけあうしかなくなるのは当然で、被害を避けたいのなら加害をさける、当然のことじゃないかなと。

最近の他者批判の流れは、被害を受けたから加害に出ると言ってるような側面も感じられて、なんとなく生きにくいだろうなと思えてならないです・・。

努力=成果にすぐならないからといって、奪うこと傷つけること、自分が正義になることで溜飲を下げていてはいつまでも自身にかかる火の粉は降り続けるんじゃなかろうかなぁと。

他人を許容できなければ自分も許容されないということを忘れないでいきたい。

もちろんあまりにも酷ければおこっていいとも思いますけどね。

ただ、相手よりレベル低くなるような怒りかたはしない方がいいです。

それにつまらないことに引っ張られて自分もつまらない気持ちになってもしかたないですし、度をこす困ったさんな時には諦めも肝心です。(汗)

長いようで短い人生ですから、みなさんよいことに時間をおつかいくださいませ。(笑汗)