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オレンジネコのブログ

 
 
すみません開始から1年以上たっても何がなんやら(笑)
ここのコメントもようやく少しお手入れ。
内容は統一感なく色々?やってます。
こんな感じですがたまに役に立つかもしれないことも書いたりなので、
もしよろしければお暇なときにでもご覧ください。

人の声にはイメージが付きまとう。

 

優しい声、意志の強い声、まじめそうな声、優等生な声、かよわい声、ぶっきらぼうな声、感情を感じにくい声、眠そうな声・・

 

自分で自分の声がどんな声なのか、普段意識しないとわからないが、声優さんみたいに声でお仕事をする人はそれがそのまま役柄の傾向にもなっているようにも思う。

もちろん技術も持つ人たちだから、まったく別の表情を見せる声を出せたりもするのだと思いますが、素の声は最初の名刺代わりみたいなところがあるなぁと。

 

なんで急にそんなことを言い出したかというと、たまたまとあるアニメを見ていて、(悪い意味じゃなく)なんでこの人がこの役をやるのかなぁとなんとなく思ってて、そう言えばこの人の声ってこういうイメージだなぁと考えていたらなんかなるほどって感じがしたからなのですが、なんていうか自分の声をちゃんと理解すると、もしかしたらそれは強みになるんじゃないかなって。

 

あんまりいいイメージはないですが、例えばぶりっ子的な女性はよくその特性を理解しているというか、そういうところがあったりするように、たぶん、しゃべり方や声の使い方で印象は変えられるんじゃないかなと。

 

暗いと思われがちだけど、ほんとはそんなことないのにと思い悩んでいる人なら少し声を張ってみるとか、

周りから怖いと思われがちなら、少し力を抜いてみるとか、

 

たぶん工夫次第で誤解されている印象を解くこともできたりするのかなぁと。

 

まぁもちろんそれだけではないんですが、表情と同じように、声の出し方しゃべり方そのトーンも、声の表情としてそこにあるわけで、何かを変えるきっかけの一つじゃないのかなと。

 

イメージを変えられないでいるなら、一度自分にありえないキャラで吠えてみるのもありだと思うんです。

汚い言葉でののしるのもいい、別にそれは相手がいてやることじゃないですから。

 

振り切ってみて、いつもの自分に戻ったら、そこからちょっとだけ違う自分を探してみる。

それは滑稽かもしれないし恥ずかしいかもしれないけど、最初は慣れていないだけで、案外うまくいくかもしれない。

 

もちろん、いきなり何かを作りすぎると周りに不信がられるので、要は気遣いの範囲というか、ちょっと何かを試してみるというか・・

 

声の印象が変わることで、自分の印象もからり自分自身も変わるかもしれない。

 

声にも表情があるなら何かが変わる。かも。

 

 

どうも、久しぶりの更新です。

 

いきなりですが、

 

人につかってもらう。

 

そう書くと皆さんはどういうイメージを持つでしょうか?

人に使われる。というとあんまりいいイメージはないかもですね・・。

 

誰だって自分の好きなようにやれたほうが楽しい。

 

それは否定しません。

でもそれの実現も難しい。

それに、本当にやりたいことやれることって、自分でどこまでわかっているのか・・自分の能力はどう使っていくべきなのか?

わかんない、なんてこともあるかなぁと。

 

人に役立ててもらう。

 

こう書くと少しイメージしやすいでしょうか?

誰かの役に立つ、

誰かに喜んでもらう

 

人の為に何かしたくなんかねーよって人もいるかもですが、

じゃあ、自分のしたいことを自分一人でできるのかというと、実際それも難しい・・そんな気がします。

 

人間生きていくうえで、誰かに手助けされないと生きていけないようにも思います。

 

一人で食べて生きていく。

お金を稼げばいい。とはいっても稼ぐ場はお金を払う人は、そもそもお金を作って価値を与えているのは?

と、今の世の中で生きている限り、何かしらの支えの上で生きているはずなのです。

 

孤立無援で自給自足でもするならば、せいぜいが大地の恵みとか支えてくれるのは自然ぐらいかもしれませんが、なかなかそんな人はいないでしょうし・・。

 

 

と、話を戻しますが、

結局誰かの手助けが必要な世の中で、どうすると皆幸せなのかな?とふと考えた時、

自分を押し通して意固地になったり、誰かを押しのけ、人の幸せを奪って生きていくよりは、

誰かにいかしてもらう生き方は実は案外幸せなんじゃないかなって。

 

自分の持つ能力を、誰かが引き出してうまく使っていってくれる世の中、

そんなだったら、使われる、という灰色なイメージも明るく見えてくるんじゃないかな?と。

 

自分も誰かのいいところを使わせてもらっていく。

 

幸せの為に押し通す世の中よりも、みんなで引き出しあって、そして、自分自身は何かを常に提供していける世の中のほうが実は自然に何かを実現するのに近道になっていくんじゃないかなと。

 

つまんないように思えることでも、自分の得意なことをうまく引き出し使ってくれる。

それは自分自身でも知らなかったことかもしれないし、新たに得た何かかも。

 

なんとなく世の中にいる成功者と呼ばれる、もしくは自称する人たちが自分には幸せに見えない時もあって、

確かに勝組なんだけど、何かイライラしていたり、常に何かに追われていたり、

本人的には楽しそうなんだけど、周りの目は冷ややかだったり、人としては低く見られている感じがあったり。

 

勝った割にはなんかちっともよくないなぁと思えてしまうのって、なんだろう・・と。

 

みんながみんな、成功者になれるわけではなくても、皆が誰かの役に立つことならできるんじゃないかって、そう思うと、

使ってもらうってのは別に奪われているわけじゃなくて、提供している有意義な立場なんじゃないかな?ってそんな気がしました。

 

みんなして押せ押せで先を争うよりも、引いて考えてうまく回っていくほうが幸せへの早道なのかなぁとそんなお話です。

 

 

わけわかんない話ですね(笑汗)