年齢を重ね、手元に残すモノはそれほど多く求めることはなくなった
若者だった頃、時代はバブルと呼ばれた頃であり、
多くを望むこと、欲しがることが許されている時代であった
豊かではない家庭であったので、会社員になり、自分の給与で多少の望みなら欲しいモノが買えるようになった喜びは、内側から私を温めた
モノとして存在し、戦利品のような、買えた私を誇るようなモノ
月日が流れ、それなりの消費活動をして、手元に残されたお気に入りを手入れして使い切るフェーズに入った
身体に合わないものからは手が離れ、基本的に衣服は天然素材ばかりになり、そのようなモノは流行とは無縁なので、手入れをしながら着続けている
さすがに50年前のモノでも着ていることは、口外できない
カシミアのツインニット、大枚はたいて、清水ダイブで購入したことは、当時の私を褒めたいくらいで、毎年必ず袖を通すときはトキメキがある
今、再び「欲しい欲しい」が始まっている
シャンプーや調味料、消耗品ばかりである
身体がそれほど強くなく、食品添加物で体調を崩し、薬を飲んでさらに悪化させ、刺激の強いモノを皮膚に塗布すると荒れてしまう、など、とかくこの世は生きにくいという身体である
年齢と共に耐性はどんどん下がっているのだから、いい商品との出会いが人生の幸福度にかかわってくる
知る人ぞ知る、という商品情報が以前より集めやすくなってくるようになり、安心安全を求める私の身体のアンテナに響くものと出会えるようになった
欲しいモノがなかった穏やかな日々から、再び悩ましい時間が増えた
あの我慢がこの商品を使えば解消されるかもしれない!と思うとポチっとすることが当然のように思えてしまったりして、コワイ
買物は消費者の商品への投票だ、という考え方に触れて、私を傷つけない、自然に帰れる循環するモノを多く日々に取り入れたい
自然素材で出来ていたものが、安価な石油由来で簡単に製造出来るように転換されていたけれど、自然素材に回帰して、身体を傷つけないモノが主流に戻ってほしいと願う