こんにちは。
青月です。
先日
「メイクが好きで仕事にしたい」
そうお話してくださる方がいらっしゃいました。
なんか
15.6年前の自分を思い出しました
主婦がビビッと来た瞬間
メイク好きだけど、
初心者で全く知らない・
パートと子育て頑張らなきゃと思っていた頃です
自分は特性がないことにちょっと
不安を感じていたんですよね。
そのタイミングでカバーメイクを知り、
なぜかそのメイクを教える人側
になりたかったんですよね
家族がカバーメイク対象だった事以外にも
純粋にかっこよかったし、
技術で感謝されるってすごいなぁって
気になりすぎて
「どうしたらカバーメイクをできるようになれるか」
をgoogleで検索をかけ引っかかったのが私の師匠です。
家族の主治医と組んで
カバーのメイクレッスンをされてた偶然も重なりました。
「こりゃ運命だな」
と勝手に思い込み、速攻会いに行きます。
自分なんかがはじめていいのか・・・
それから再度師匠の元を通うまで2週間ほど悩みました。
いつも即決の人ですが
授業料はじめ、家族の反応・
それで稼げるのか技術の不安や
需要があるのかとかぐるぐる・・・
その頃知り合いが病気になり
なかなか改善されないことを相談されていたから
体が動かなくなるって
起こりうることなんだ
ついつい人間って生き物だってことを
忘れがちで無限かと思ってしまうけど
あっという間にできないことが
増えていくんだと
考えるようになりました
結果
「やってみたいことは我慢したって
結局やりたいから、今やろう」
わがままと思いつつ
電話をかけて申し込みしました
そこからレッスンが始まります。
本当に今の自分を作り出した瞬間がそこでした。
10代でもない子持ちの私がスタートを切ります。
あの時点で決めていなければ/思い込みがなければ
今、私は何をしていたんだろうと思います。
技術も知識もなかった自分からすれば
今起きていることも夢オチじゃないのか?
と思うこともあります
それでも「ありがとう」と
感謝していただけるお客様や
私でも頼りにしてくれる方に
応えたいなと思ってお仕事してます
雷にうたれたような言葉
当時
一番最初に会った師匠はまっすぐ私を見て「扉は自分で開きなさい」
と決断を人に委ねないことを話しました。
そして
「そうしたら必ず
世界は変わるから」
夕暮れの光が差す中で
この言葉にしびれたのでよく覚えています
いつも待ちの姿勢で
何か起こらないかなー
とぼんやり
過ごしていた日々は
自分で変えるしかなかったのだな
今になってよくわかります
当時
やりたいことを肯定も否定もせず
こんなセリフを言ってくれる
人がいなけれは
「自分で決める」をできる立ち位置じゃない
と思い込んでいた主婦は
一気に
自分のために生きていいんだ
と教えてもらうのです
皆さんの想いがあれば
聞かせてください。
それではまた
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