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人生50年あとはおまけです

成人病オールスターズのおっさんが
書き残す終活日記。
2014年8月以降も生き残っていたら
なるべく続けます

「共生」と「強制」

一見、関連のない用語のように思えるが、実は「自由」という言葉の意味で人間社会を端的に表しているように思う。

すなわち

「自由」を求めるならば「共生」は難しくなり

「強制」を受け入れるなら「自由」は減る。

 

どちらが良いのだろうか?

答えは、その人の考え方次第なのか?

もっと極論すると育った文化次第なのか?

 

この考え方をはき違えて「共生」と「強制」に抵抗する考え方、行動が増えてきている気がする。

社会での自由は「「共生」が前提にあるのに、その前提を無視して自由を行使する人達。

人がリソースをシェアしたり利用するところには、それを管理するリソースが必要で、そのリソースとは自治体であり、民間企業であり、ボランティア団体などである。

「日本はゴミ箱がない!」と海外からの観光客は驚くが、それはゴミがないからではなく、「ゴミは持ち帰る」という共生のためのルールであり、暗黙の強制があるからだ。

 

「郷に入っては郷に従え」というたとえがない文化圏から来る人や、「ゴミは持ち帰る」または「指定の場所に捨てる」という

事が出来ない人がいる以上、強制はできないから、ゴミを処分する費用を負担してもらうのが「共生」だ。

 

インバウンドや国内旅行の観光客問題は多くの問題をはらんでおり、一元的に論じることはできないが、国や自治体で行う事と民間が行う事は明確に区別しないといけないのではないだろうか?

 

最近は、コンビニ周辺で酒を飲む人が目立つ。

その人たちが置いて行った空き缶やカップ麺、お菓子などのゴミは誰が片付けるのか?

仮にゴミ箱を設置しても、誰が溜まったゴミを処分するのか?

ファストフード店でも食べかすの散らかし放題や、トイレが水浸しであったり、と。誰が片付けるのか?

「共生」できない人が確実に増えている。

となると民間企業のコンビニやレストランはゴミ処分の費用を上乗せするしかない。あらゆる施設で、ゴミ処分費を費用に上乗せする事で、「共生」をあきらめて値上げという「強制力」を行使する。

綺麗に使えというのではない。モラルやルールを守ってくれ、という事なのだが、それを守れない人が増えているのか?

増えているので、サービス提供側は致し方なく、値上げして対応費用を捻出差ざるを得ない。

表立って公表してしまうとえらいことになるが、値上げが嫌なら来るな、利用するな。という事。

自由を求める、というか「我が道を行く」系の人々は、費用負担のダメージだけでなく、他者からの視線や社会ルールからの逸脱などにより「共生」が難しくなる。

 

今、政府は、「共生」から「強制」に大きく舵を切っている。

もはや、共助力に期待するのは限界なのだ。

 

自由だと思った事が、実は社会的には許容できないことであることに気づかない人が増えているのには、どんな理由があるのだろうか?

生活コストがことごとく上昇しているのには、どんな理由があるのだろうか?

 

世知辛い世の中になったのには、どんな理由があるのだろうか?

 

答えは風の中(風に吹かれて)・・・か?