小暮政次の生前に出版された歌集は9冊です。


これからピックアップしていく歌集『閑賦集(かんふしゅう)』は、小暮政次全歌集という百科事典のような分厚い本にまとめられた中の一冊ですが、小暮先生の死後にノートなどから整理したものだそうです。

扱っているのは平成5年から7年、先生85~87歳のときの作品1920首です。アララギその他の歌誌に掲載されたものもありますが、ノートに残されていたものが9割を占めているのではないかということです。

今回は平成5年の途中まで、全歌集の677~700ページまでとします。とにかく多いので、私も整理しながらゆっくり読みます。

 

 

 

ひとつづつひとつづつ解きてほぐしゆくこともたのし斯くて春は近し(待たざるにもあらず)

純粋なれとねがふとも純粋にあり得るやこれより道は更に暗きに

何を待つのかと自からに問へど答へ得ず待つにもあらず待たざるにもあらず

人に問はばいかにかとわれ思へども人に問はず己れ一人にて決めむ

 

真二つに割るのもよろし半分づつをつなぐもよろし何れもたのし(雑歌)

 

何のつぐなひに歌を作らねばならぬのか自からに問へど答なし(三月雑歌)

捉へかねるそれだから心引かるると思ひてゐたり空は春のいろ

 

花を育て卑しくするは人なるかここに垂れて淡きくれなゐの花(すべて青葉なり)

 

よろこびを共にせむかなと願ふとも其の人々は世に亡き人々(黒き杖)

 

心々にして下されと思へどもその行く方を吾は見つめむ(促さるるままに)

 

 

 

少しずつ変化していた作風の特徴が、よく表れてきていると思いました。心象が多くなっています。心のつぶやきというか、思索の世界の表現ですね。願いとか問いとか思いの世界です。

自身の歌についての解説を好まなかったという小暮政次ですが、少しでもヒントをいただけたらよかったのになと思うことが多いです。

 

解説するのは、詠んで手放した思索を読者に押し付ける無粋なことと思われていたのかもしれませんが、委ねられた側が迷子になりそうなので(実際たくさん迷っています)少しだけ道案内をしていただけたらいいのになあという感じです。

 

とはいえ、無粋なことというのには賛成している部分も多いです。

こう読んでほしい、こう受け取ってほしいは、作品にきちんと込めるものだと思うからです。

三十一文字で収まりきらないメッセージはムリに短歌にしなくてもいいのでしょう。ほかの方法もいろいろ選べる時代に生きています。

 

どこまでを短歌で表現できるか、ギリギリを攻めるというのはそういうことなんだろうなと思います。

小暮政次の攻め方は自分にも周りにも厳しく、妥協がないです。

こちらの心が弱っているときはへし折られそうな強さすら感じます。

でもそれは他人をやり込めたいという感情から出てはいません。小暮政次が自分の心の内を正直に浚おうとしているところが、少なくとも私の適当に済ませてしまいたい心には辛いのです。


あくまで、私の感じ方ですが、みなさんはいかがでしょうか。



さて、年毎に分けて読み進めてきていた全歌集を途中で分けることになりました。次回は700ページから平成5年の最後までの予定です。

いったいいつになったら読み終えられるか不安になってきます。小暮政次は93歳でこの世を去りましたので、全歌集にはあと8年分の歌があります。1年分を半分にしてブログをまとめるとして、あと16回。


えっ、1年かけても間に合わないじゃないですか。はじめの頃のように2週間に一度とか更新できないかしら。

6月頃からならできるかなあ。


それと、最晩年の作品はあまり多くないとのことなので(この全歌集を読んでいてあまり多くないは信用しない人間になりましたが)、もしかしたらピックアップは1年分を1回の記事で書けるかもしれません。期待はしないでください。感動する歌は晩年に増える場合が多いです。


2022年8月かな、始まった全歌集の好きな歌ピックアップ。

とにかく、よく読んでゴールまで完走できるようにがんばります。