ある無神経な知事が「天罰」発言をした今回の大地震・・・色々な事を言う人が居ます、信仰のある人さえ不安に感じています。教会で後で聞くと、たとえ神への信仰があって?も震災で揺れたときにはオロオロしてしまう人が多かったのではないでしょうか?信仰の無い人にとっては?今回の事象はあまりにも苛烈に映るでしょう。特に幼い子供達がどんな心の中で過ごしているか?と思うと堪りませんが、親として何が語れるでしょうか?



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆


やはり天罰?でしょうか?科学者は何を教訓にできるでしょうか?日々悶々と考えてしまいます。ただ津波の映像で理解できたのは「お金は天国へ持ってゆけない」という事実でした。備えあれば憂い無し・・・お金より生命が大事と言う事です、今絶望による自殺を危惧しています、今を未来を信じて生きてこそ・・・です。



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆   主(神)に依りたのむ者は失望させられない・・・ローマ人10-11


あくまでも僕はクリスチャンですから聖書的な解説をしてくれる書物を探していました、20世紀の神学者ルードルフ オットー「聖なるもの」岩波文庫41ページを読んで大変感慨深いものがあった。




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「ヤハウェの怒り」をめぐる謎は以前から注目されていた・・・



先ず旧約聖書の多くの箇所ですぐわかるようにこの「怒り」はもとより倫理的な性格とは無関係である、それは「燃え上がる」ものであり、現れ方も不可解でちょうど隠れた自然の力、たとえば人がよく使う言い方をすれば近づく者に放電する電気のようである。それは「予測がつかないもの」「気ままなもの」である、それは神的なものを合理的な特性で表すことにしか慣れていない者には気まぐれで勝手な激情のように見えるに違いない。






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だがこのような合理的な捉え方は旧約時代の敬虔な人々ならきっと断固拒否したであろう、なぜならかれらには「神の怒り」は決して聖性の減少ではなくその自然な表現であり要因であり決して取り去ることのできないものと思われていたからである、そしてそれはもっともなことである。というのもこの怒りは戦慄すべきものそのものにほかならないからなのだ、この戦慄すべきものはそれ自体は全く非合理なものであるが(中略)神の怒りの中にこうした非合理な要素が何時も胎道し瞬いていることははっきりと感じる事実でありそれが自然的な人間には感じることのできない恐怖をもたらすのである。




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***********以上 ルードルフオットー「聖なるもの」より



ひとことで言えば「地震の原因は解からない(不可思議である)が備えよ!」という事、神はあえて貴方に苦しみを与えている存在ではないということ、自然な表現であり、神に近づく時は備えよ、神=超自然的存在とでも言おうか?「聖なるもの」は不可思議であるという事。神の愛もまた不可思議である。祈りが伝わるか?救いはあるのか?これも不可思議である。



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆ 様々な本に惑わされない・・・その本が未来を伝えているでしょうか?



終末論(例えばノストラダムス)や予定説(救われる人は決まっているという神学)や運命論(運命は決まっている?)これも不可思議であり恐れを生じるものだ。占いが21世紀も若者の関心を惹いている、迷信俗信を排せよ!といっても中々出来るものではない・・・この世には説明の付かない事が多くあるのですが自分の運命についての説明を誰かに必死に言葉で求めているのでしょうか?



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆   嵐の中では腰をかがめて低姿勢で前に進みなさいと言う事です



キリスト教の信仰について紹介すれば・・・近づきの祈り・・・神に近づく時に唱えるものですが、ひざまづいて悔い改め「小さき者」となって命のパンを食せば「恐れる事はない」、間違っても「大きな者」になってあたかも神自身を演じるが如くに神に近づいてはならない。ある意味無になって神への信仰を表明すると言う事が具体的には大事だと言う事は理解できるだろう。ちょうど落雷に遭わないよう「低姿勢」でいるような姿こそ(神は)求めているのだと思う。ジャンプする時は一旦屈(かが)みます、神の前に屈んで栄光は全て神にかえすのです。ひざまづく事、嵐の中ではまさに屈しますね。


信仰や祈り=祈りの言葉も不可思議である。これこそ我々の想定外(不可思議)のことだと言えなくも無い。虚無論者はムダだと言うだろう。



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆   死を味わう事がないだろう・・・イエスはこの世に火を投じても守ると言っています




「これは日本人に対する警告だ」的なニセ預言者の本も出されるでしょう、聖書はニセ預言者に注意せよ!と教えて居ます。終末は誰にも何時来るか?死は不可思議で解からないのです、アセンションだスピリチュアルだと言う人には注意してください。意味不明の言葉を操る人が居ます。それは迷信俗信である場合が多いのです、また週刊誌やドギツイ映像は子どもには見せないことですし悪書を読ませるなら聖書を読むべきですよ。


しかし始めがあれば終わりがある・・・人間は死に向かって歩いている哲学の道・・・モメントモリな存在であることは薄々理解できますが享楽的生活は楽しいのですね。刹那で大方は生きてしまいます、死に至る病だけは医者も治せないのです。ただ死は恐れる事では無いのです。多くの宗教はそれを明らかにするもので、不可思議から出発するのです。





☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆



神をあくまで「合理的」に理解しようとする人からみれば自然災害も全て説明がつくと思っているのですが、不可思議である、解からない限界を知る・・・無知の知・・・まさに哲学的命題であり、死を想う時人間は敬虔になれると古人(いにしえびと)は教えています。逆に「死という苦しみ」がなければ人間は敬虔になれないのでしょう。死に至る病にて・・・。




☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆   十字架上の苦しみの意味は不可思議であり不可避である



「病者の祈り」は医学的には死をもたらすであろうその病・・・何故?弱さを?貧しさを?苦しみを?与えられた?かを・・・自らの運命を知る手がかりになるだろう、



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆ 911



ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている作者不詳の詩である。被災した方には突然であり、ある意味不可思議であり苦しみであり・・・クリスチャンであっても神の意志など理解できない?災害でもあるニューヨークテロ:911の際にも注目された。



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病者の祈り

大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、
より良き事ができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
心の中を言い表せない祈りはすべてかなえられた。
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。


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さて・・・具体的な課題である原発を何故?今クリスチャンは「反対」と捉えなくてはいけないのか?


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勿論アインシュタイン級の人で無い限り「全ての事」を理解できるはずもなく、アインシュタインでさえ舌を出すだろう。



中性子だ原子分子だ放射能だ?マイクロシーベルトだ?という知識は役に立たず、また当然僕の理解を超えています、我々には不可思議な恐れを伴う「戦慄すべき」技術だと言う事も言えます。



しかし我々も報道等で原発を動かす人々の「心の根」は理解できるはずです。心の根が清ければ事故は起こらないでしょう、どんな技術や知識もそれを扱う人間の心の問題になってしまいます。



原発に関しては危険性は随分前から言われて居ましたし、日本の原発政策は弱点を数多く抱えていました、チェルノブイリの教訓や柏崎原発の教訓を生かしきれていなかったのです、これは東電が独裁であり独占企業である事に由来するものです、これは独裁が産む=大企業病でもあり日本という大きな装置の大きな病です、キリスト教的な薬とでもいうべき日本社会の「解毒」が必要なのではないでしょうか?



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「小さき者」になって原子力に近づかなかった・・・から起こった(≠神が怒ったのではなくですね)完全な人災であるのですね。



全てに関して「お金儲け」優先ではない考え方、政治システムもそうですが対抗する価値観を入れなければいけません。





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得てして大掛かりな装置・・・何でもそうですが大掛かりな仕掛けは弱点があります、弱点・・・正に弱い部分・・・社会の弱い部分を支える事が結果全体の利益になります、強者の理論・・・負け組とか勝ち組・・・労働問題などで言われる事です。



キリスト教は100匹の羊が居れば99匹より1匹の逃げた羊を追います、民主主義とは多数決の事になっていますが少数派、マイノリティを大事にすると政治も変わります、ある牧師が原発反対を唱えています・・・先日お聴きすればこれは出発点は「労働問題」だということなのです、労働問題であれば多くの人は理解できるでしょうね。



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆  =神秘と言います



何故?クリスチャンである牧師が原発反対なのか?答えの出ない問題でしたけど、僕も其処から関心を広げたのですが・・・問うてみると・・・被曝者支援から始まっているという事なのです、



原発を動かすと必ず被曝者を産みます・・・その影響については賛否ありますけど、被曝者=社会から疎外され差別を受けている現状を知ってほしいのです、被曝したと言うだけで当人もそうですが、周囲の人も「戦慄すべき・・・恐怖」を感じます、何故なら被曝すれば将来が「解からない」からです。自分の身に何が起こっているのか?さえ目に見えない恐怖と戦わなければいけないのですね。



地震もそうですが放射線も身近に存在し、低レベルの地震や放射線は何処にでもあるのですね、しかし高レベルとなると恐怖に変わります。それは一応電気があると解かって?いるのですが、放電されればたとえ静電気でも恐怖に変わるのと一緒ですね。




☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆  電気というのは強大なエネルギーです=これこそ神秘



目に見えない世界もあるということです、これは落雷なども一応の説明はつきますが、起きるときは非合理であり、不可思議なのです。日本人も雷に対して古人は自然の恐怖を感じていたでしょう。何でも合理化=可視化できると何処かで思っている驕りでしょう。




☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆  目に見えないイメージ=想像も超えた世界が未だあります



被曝者を受け入れ拒否した医者がいるそうです、あってはならない事ですがJCO臨界事故の時に「治る見込みが無い」として拒否したそうです、医学の限界を知っているという意味では名医?ですが、しかし沢山の被曝された方々は専門医はもとより恐怖を産みます、大抵の病気は治せる=と信じている現代の医者にとって治療薬が無い病というのは慣れていないせいか恐怖すら感じるのでしょう。




☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆ 被曝は続いています・・・。



被曝した野菜や被曝した魚、日本列島は放射能汚染がこれから深刻に議論されるでしょう、そして被曝した人、モノは明らかなぞんざいな扱いを受けます。



答えの出ない問題ですが、クリスチャンとして愛によってシンプルに考えれば答えは出ます・・・治療する手立てが無い放射能被曝の犠牲者が出続ける限り・・・その電力で享楽をする我々も彼らを踏んづける側に立っているということを自覚し、節電で少しでも犠牲を減らす事が出来ます。


例えば放射能被曝の奇跡の治療薬が開発されれば?可能性がありますが、原発はその進化を待つしかない今は止めるべきです。技術的な進化もそうですが人の「心の根」の進化も伴いますね。人間は進化できるか?という命題もありますが進化を信じる事はできます、東電の人がんばりましょう、科学者の方々へ・・・大きな技術を持つと言う事は大きな責任が伴います、今回の一連の出来事は古人のように敬虔さを現代人にも(神は)求められているのだと思います。



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こんな時にどんな歌が慰めになるのか?考えました。奇跡という薬(信仰から生まれるもの)こそ今必要なのですね。神よどうかお助けください。憐れみをお与えください。僕達は心悔い改め原子爆弾(炉)を解体して祈り待ちます。



☆毎日がクリスマス☆平和と愛☆PEACE&LOVE☆



HOW TO DISMANTLE AN ATOMIC BOMB

原子爆弾(炉)の解体方法



On a miracle drug
奇跡の薬さえあれば
Of science and the human heart
科学と人の心に
There is no limit
限界はない               U2


http://ameblo.jp/mitsu7716/entry-10367636716.html   日本語の歌詞です