ふと腕の中の花束とは違う、桜の香りがして辺りを見渡した。
「どうしました?」
マネージャーの言葉を背中に聞きながら、俺は少し離れた民家の庭に目的の物を見つけた。
「ああ、桜ですか。早咲きのですかね、もう春ですね」
俺の視線の先に気が付いて、マネージャーがさらに続けた。
「今までだったらこれから、この季節には花見で盛り上がるんですがね」
ほんのり漂ってくる桜の香りに春の浮かれ気分を思い出したのか、しみじみと呟く。
かといって香ってきているのは桜だけではない。俺の腕の中では華やかな春らしい香りが匂い立っている。
「クランクアップしましたねぇ」
つい先ほどクランクアップした時に渡された大きな花束を俺はまだ抱いていた。大きな環境変化に伴い、今までに経験したことのない撮影方法。スタッフを含め慣れない中、ストレスの多い現場であったことは否めない。
それでも成し遂げたことに安堵も満足もあった。
「持ちましょうか?」
「いや、いい」
いつもとは違う反応を見せる俺に、いぶかしげな視線を投げたマネージャーだが気にしない。
今までなら打ち上げとかいろいろと付き合いが残っていたが、嫌いではないが、今はそれよりも優先したいものがある。
「このまますぐに帰る」
「え?あ、はい。あの、事務所には?」
「帰るから、車!」
「はい!」
有無を言わさない口調に、慌てて走る背中を見てから、もう一度桜を見るために振り返った。
「花見・・・ね」
桜の花に大野さんの面影が重なる。
大野さんがあの時の俺のジレンマに、どうしようもないガキみたいな我儘に何を感じたのかは分からない。感の鋭いところがあるから、何かしら感じ取ってくれたのだろうとは思う。かといって歩み寄ってくれたとは思ってはいなけい。
それでも、大野さんからの俺へのアクションは、多大な影響を与えてくれたことは確かで。
あの時にはっきりと話しをつけておけば今の状況は変わっていたのだろうか。
たたき起こされて、慌ただしく現場に向かった、二人の間に起こったことを分析することもなく、会話する暇もなかった。
確かに何かを感じて、何かが変わったような気がしたのは、俺だけが感じているだけなのか・・・
あれから俺たちの間に大きな進歩があったわけではない。
大野さんは今でも変わらず俺が会いに行けばドアを開けてくれるし、一緒に食事もして、上手くその気にさせれば熱い時間を共有してくれる。
その間に甘い言葉なんてない。
客観的に大野さんは全く変わっていないように見える。見えてはいるけど、受け取る俺の方の感じ方が変わった?
車窓を流れていく街の風景をただ眺めながら、脳内ではフル回転で今後の作戦をたてる。
社会状況がどうであろうと、手を打つ価値はあるはずだ。
いつもの連絡事項を終わり、コーヒーを淹れて窓の外を眺めた。
夕暮れ時の街は普段よりも静かだとはいえ、生きていく以上生活はしなきゃいけない人間の活動を伺えることはできる。
自由になったばかりなのに、今は様々な目が俺を狙っていることくらいは想像できる。自由を得ても自由ではないのもしばらくの我慢だと思えば何とか過ごせるだろうと思っていた。
「いつまでもつかな」
独り言で紛らわせる。
しがらみから自由になっても、言葉に吐き出さないと駄目な自分もまだまだだな。
一体何にこだわっているのだろうか。
飲み干したカップをキッチンに戻し、大きく深呼吸をしてPCに向かう。スクロールして流れてくるデザインの修正を再開した途端にスマホが震えた。
ちらっと時間を確認してすぐに誰からなのかが分かる。出る必要もないのに、手は自然とスマホを取る。
「今日行くからさ、何か食べたいものある?」
相手も分かったもので、いきなりの本題からだ。
「ビールでいい」
「わかった」
作業をする手を止めることはない、切れたスマホを置く間も視線は画面を見たままだ。
「ああ、クランクアップしたんだっけ・・・・!」
呟いて、はっとした。
いつの間に、これが日常になっているんだ?
クランクアップだと言っていたのは何時のことだった? 当たり前のように自分のスケジュールを伝えて、聞き流していたはずだ。
PCを閉じた。
なんだ?
何かがおかしい。
あいつは相変わらずだ。
俺たちは何も変わっていないはずだ。
はずなのに、なんだろう、どこか違和感を感じてしまう自分がいた。
続