この手の話ってたまに聞きます。

 

私の実体験としてお話ししたいと思います。

 

 

会社で私は、ほとんど話せません

 

なぜか人に話をすることができないんです。

 

仕事の話で聞かれたりお願いされたら

話はできます。

 

 

私は会社の人をどう見ているのでしょうか。

 

信頼のおける人として見ていたら、話してもよさそうなもんです。

 

コワい人たち、なんて思ってるかもしれません。

 

 

とにかく、会社の人のことが気になる。

おこられやしないか、自分のことを批判しているのかも

 

とか不安になります。

 

 

会社の人は怒ってどなったりもしています。

 

そりゃこわいのも当然だよね…

 

 

でも、それって現実なのでしょうか。

 

私が恐れているような人たちは

 

話をするのがためらわれるほどの、さわると爆発する

地雷なのでしょうか。

 

 

ここで、たとえ話をひとつ

 

子どもの頃、いつもどなられて、時には叩かれ

それでも逃げられなかった子がいて

 

自分の怒りを抑圧していたとします。

 

そのこは大人になって人に言われます。

 

「なんでそんなにピリピリしているの?」

 

え?そんなつもりないけど…

 

 

これは私のことなのですが、

 

私は会社でピリピリしていたのですが

自分では一生懸命に働いているだけのつもりでした。

 

 

そしてそのまま色んな職場をわたり、

 

ここでもピリピリ

あっちでもピリピリ

 

でも私は成長しています。

 

職場の人に言われます

「えみーさんて話さないしよくわからないですよね」

「穏やかそうですけど怒ると怖そう」

 

私は成長して言いました

「私はいっつも怒ってますよ」笑顔

 

相手は

「やっぱり!」

 

・・・

 

てへへ。

 

認めちゃうとすこしは楽になりますね。

 

 

そうなんです、私、怒ってたんです。

 

いったい何に怒ってるのでしょうか。

正直、言葉にはできません。

 

でも自分が怒っているのはなんとなくわかります。

 

 

そして、自己洞察を積み重ねた今の私にはわかる。

 

(お前ら俺のことを大切にしろよぉ~?)

 

(ちやほやしてくれよ~?おうおう)

 

(俺はお前らのこと守ってやってんだからな、わかってんだろうな?あ~ん)

 

そんなところでしょうか。

わ~やな人~キャー

 

 

どうしてこんな人になったのでしょうか。

 

モンスターのようです。

かわいいんですけどね。

 

(俺はお前らのために我慢してんだぞ?!)

 

親のために我慢する子ども、実はそこから離れられない自分の弱さがある。

依存心がある。守ってくれない敵意もある。

 

(おれは、おれは必死で我慢してきたんだ!つらかったんだ)

  わかってほしい怒り

(本当はただ大切にしてほしかったんだ)

  実は心の奥には「悲しみ」があった。

 

 

今日は長くなったのでまたの機会にいたしましょう。

私たちは虫も含め

 

海から陸に上がってきた者たちです。

 

 

人と虫、

虫は人の鏡という本もありますが

 

ナウシカでは虫と仲良くする蟲姫が登場したり

 

 

虫と人は共に進化する中で

海から陸に上がってきた者たちと

仲間と考えてもいいのではないでしょうか。

 

 

ふと海をみれば

海岸から冷たい風が吹き

 

背中に寒々としたものを感じます。

 

海は母なる海って言ったりしますが

海に出て生きて帰ってくることは難しい冒険の場でもあり

 

海水浴場として憩いの場にもなれば

時に波が人をさらうこともあります。

 

 

海って深海魚とかいて怖いです

 

でも面白いですよね。

 

 

さて、人も虫も寒い時期になると

おうちに入ってぬくぬくします。

 

カメムシは隙間がほんの少しでもあれば

窓から入って家の中に逃げてきます。

 

 

私だってさむかったらどこかのおうちに入れてほしいです!

 

 

カメムシは家にいたらなんか嫌です・・・

 

でもどこかでこの生きものも私と同じく

さむくて逃げてきたんだな。

 

なんて思うと一緒に暮らせる気がしませんか?

 

でも私は追い出します!

 

みなさんに暖かな帰る場所がありますように。

数学ってとある公式に当てはめると

答えが導き出される

 

正解をくれるイメージ

 

世の中の公式は、道理とか言われるように

もう少し見えない意味で表現される

 

例えば

 大地が女性だとしたら、男性は宇宙を飛び回る星

 豊かな土壌に種をまくもの

 みたいなイメージ

 

それは解釈としては色々な言葉でどうとでもいえるのだけど

構造としてそんなようなものがある

ということを私はぼんやりと感じます

 

私はこのような構造を感じると

では私はどういう存在なのだろうと

自己のイメージを膨らませます。

 

少なくとも私は男性としての姿をしています。

 

では先ほどのぼんやりとした構造

言葉で表すなら「星」

宇宙を飛び回る存在(一つの解釈)

 

この構造から私は

 

女性という大地に

光を届ける、ぶつかって何かもたらす

遠くの世界から何か届ける

 

そんな意味が思いつきます。

 

さて、

これは想像力の遊びみたいなものですが

自分の自己認識をどうもつか

 

それは自分を取り巻く世界をどう作るか

という点において大切な気がします。

 

この想像力が危険な方へと行くこともあれば

好ましい方へと活きることもあるでしょう。

 

自己蔑視をしているひとが

実は偉大な優しさを持つ人だったりする。

 

それならば自らを悲観することばよりも

感謝や存在を尊ぶ態度を持ちたいものです。

 

想像力と言葉

自分の中に渦巻く感情

どれをとっても大切な要素です。