寝て待てと言われても

 

待てずにアマゾンをポチってしまう。

 

 

お金があるからしかたがない。

 

 

最近はお金に余裕はないから

そうせずに済んでいる。

 

 

果報を寝て待つとは

 

どういうことか考えてみた。

 

 

例えば、

 

欲しいものがある、それはアコーディオンだ

 

それがあれば

おじさんと一緒に演奏できて、たのしそうだ。

 

でも今は買うお金がない。

 

 

親に借金して、カードローンで

お金を用意するか

 

 

ここで、

「寝て待つ」ならどうするか。

 

放っておくこと

 

特になにもせず

そうなったらいいなとは思う

 

けど探さない。

欲しいという気持ちは

思い描いている。

 

そんな状態でしょうか。

 

 

きっとですが

 

待てると待てないで

 

お金の貯まり方も

変ってきたりして。

 

 

犬にマテをするけど

 

自分にマテは難しい!

魔女って火あぶりにされますね。

 

でもなんだか、魔法で夢を見させてくれる

そんな魔法使いなら

 

ありがとうて思うのかな。

 

 

火は暖かい

 

でも火あぶりはあっつい

 

 

魔法も使い方でぜんぜnちがう

 

 

だからハリーポッターもいい魔法使いと悪い魔法使いになる

 

 

バカとはさみは使いようなんだと思えば

 

いいことに使うには

コツがいるのかもしれない

 

 

子どものころは

七夕に

 

「出せ出せろうそくだせ、ださないとかっちゃくぞ」

と近所のおじおばあのとこにいって

 

うまい棒をもらいました。

 

 

大人になったら

きっと

「すいません、ろうそく切らしちゃって

よかったら貸してもらえませんか」

 

って言うのかな

 

 

言葉は

やさしい使い方もできるけど

 

かっちゃく使い方もできる

 

 

大人になっても

かっちゃく使い方しかできないのは

 

はさみの使い方が下手なだけなのだろう。

 

 

きっと世には

その使い方を教えてくれる人がいる。

居場所について考えると

 

自分の身が確保されているという

安心感

 

居場所にはそんなところが必要だと思う

 

 

だけど自分自身がここなら安心してなにもかも

脱力して身を任せられる

 

そういうところはあまりない

 

 

でもどこかにあるとしたら

 

どうやってそこに行きつけるのだろうか

 

 

ひとつは自分のことが大好きな人と

一緒にいることがその道にあると思います。

 

 

大好きと思ってくれる人って

都合よく言えば

 

多少のことは目をつぶって許してくれる

 

だから甘えてもいいんだって思える

 

 

でも、ただ甘えるだけの存在を

大好きって言えるだろうか

 

甘えると言わずに

生きるための糧を

 

すべて他者の存在に任せてしまう。

 

自分では得ることができない。

 

 

そんな存在が甘えるために

自分のところに来た時に

 

大好きといえるか。

 

 

だけど、人を大切にする話では

 

そこまで依存的な存在を

どうやって受け入れるか

 

が肝心な気がします。

 

 

お互いの寛容さには

 

自分の依存的で弱い存在を受け入れて

 

助け合えるようになれたらいいと思います。

 

 

だけどそれが簡単じゃない

 

 

孤独というのは嫌な面もあるけど

 

そういう自分を知るには

いい気がする。

 

 

上手くいかないことに

 

見失った自分を見つけるヒントがあるって感じ?