自分に対して

 

思い通りに動いてくれない!

 

と怒っていることがある。

 

 

もっと社会で活躍したい

 

そう思っているのに何もしていなかったりする。

 

 

そういう時、自分で自分に

怒るのだと思う。

 

 

だけど

あなたが他人に、

どうしてあなたは何もしないの?!と

怒られたら

 

失礼な人だと思うし

こっちにはこっちの事情があるんだと思うかもしれない

 

 

それに

怒っている人が

何か助けてほしいことがあるのだとしたら

 

お願いされるのならまだしも

 

やるのが当然だろ!

 

という態度で迫られても

 

脅されてはやるかもしれないけど

 

すすんでやろうとは思わない。

 

 

だから自分に対してだって

 

それなりの感謝のような気持ちで

 

こうしたいとお願いしなければ

 

自分のことだと言っても

やってはくれないのだと思う。

 

 

だから、

なにか不満があるときは

 

自分に対する態度を

もう少し変えて

 

してくれていることに目を向けて

ありがとうと

思ってもいいかと思う。

 

 

それでも自分に満足できない時は

 

なにか心に

「今の自分ではだめだ、愛されるにはもっと何かしなきゃ」

 

と迫られている心があるのかもしれない。

 

 

その心は愛されたくて

必死なのかもしれない。

 

 

きっと、素のまんまで

愛されることが

必要なのかもしれない。

 

自分のしたいこと

 

出来ることはたくさんあるけど

 

どれも手つかずで

 

 

それよりももっとした方がいい事

 

やるべきことで埋まっている。

 

 

結局、後回しにしたしたいことは

 

最後までやらないことになって

 

 

もういいや、そう思って少し悲しい。

 

 

自分の生活は自分の選択であるはずなのに

 

誰かが強制したかのように

 

オリのなかに閉じ込められたよう。

 

 

もうそこでしか生きていけないような

 

あきらめにも似た感覚。

 

 

 

でも実際は

 

そんなことはなくて

 

どこかでそれ以外の生き方に触れることも

 

あったはず。

 

 

なのに勇気が出ないというか

 

継続もできなくて

 

やっぱり今の生き方に戻ってきてしまう。

 

 

見えないゴムで繋がれているように

 

外に抜け出そうとしても

 

強い力で引き戻される。

 

 

きっとここにいる方が安全だって思っているのかもしれない。

 

 

そんな自分と仲良くして

 

もう少し外に出られるようになるにはどうしたらいいか。

 

 

やはり安全、安心だよと

思えるようにしてあげたい。

 

 

怯えているのは

何が怖いのだろう

 

 

よくわからない。

 

でも100%必ず受け入れてもらえるならいいよ

そう思っている気もする。

 

 

そんな神様みたいな人いるのだろうか

 

 

それに、受け入れてくれる人たちは

いるだろうけど

 

その人たちに心を許して

触れ合うことはできない自分がいる

 

 

いい人だとしても

自分のことを好きだと思っていても

 

こちらが敵だと思って心を閉ざしていたら

こころは触れ合えなくて

やっぱり敵のままになってしまいそう

 

 

なぜ周りの人は敵だと思って

心を閉ざしたのだろうか。

 

 

 

自分のこと、知っているようで

 

分からない。なんてよく言う話ですが。

 

 

己を知れなんて言葉も昔からあるように

 

分かっちゃいるけどどうにもならない自分ってのが

 

いるのが普通なようであります。

 

 

むしろわかっている範囲で生きているなんて

 

とても狭い範囲で自分を閉じ込めているようなもの

 

 

だとしたら

知らない自分にすべての可能性をゆだねて

 

もしかしたらその結果何か起こるかもしれないけど

 

賭けてやってみよう

 

そう思えたら楽しいのかもしれない。

 

 

己を知れ

というのは身の程をしり

身の丈に合った生き方をしよう

 

とも聞こえるけど、

 

知らない己を知るために

 

いろんなことしてみようとも聞こえる。

 

 

考え方はなかなか変わらないけど

 

生きている以上

 

何かの変化はいずれおとずれる

 

だとしたら

 

先んじて知ってしまった方がいい事もあるのかもしれない

 

 

自分が動物の様にコントロールの聞かない生きものだと

知ってしまえば

 

それとなく付き合って行けるのかもしれない。