かえりみち | 青森今昔物語

青森今昔物語

戦災により失われた青森市の記憶。


青森今昔物語-青森中学校、青森商業

 「津島君とは青森中学時代の同窓であり、同級になった事もある。その頃津島は寺町の遠縁の豊田のふとんやに下宿していた。その豊田家と私の母の生家とはやはり縁つづきであった。中学校の行きはともかく、帰りはよく青森中学(今の合浦公園の野球場)の裏通りや海岸道に出て、田圃道などを仲間四、五人がやがやと御託をならべながら、旭橋を渡り博労町米町寺町ときて、わたしは長島のいえまで帰ったものであった。その頃は公園と堤川の間は田圃か谷地で殆ど家がなかった」

(津島修治君と俳句 村上三良 太宰治と青森のまち 北の会編 北の街社 昭和63年刊)


 今日は太宰治生誕104年ブーケ1。おめでとうございます。