私の仕事はカレンダー通りの休みなので、今日からやっと4連休。
連休初日は阪大の学祭に行ってきた。
阪大は春のいちょう祭と秋のまちかね祭と年に2回学祭がある。5月のいちょう祭は新入生歡迎のイベントでもある。
私は毎年足を運んでいるが、コロナ禍以降、模擬店で酒類の販売がなくなっただけでなく、キャンパス内での飲酒が禁止になった。
コロナ禍前の阪大は学祭での飲酒に寛大で、缶ビール片手にパリピ化した学生で溢れていた。
受験が終わり晴れて阪大生、そりゃ弾けたいわな(未成年飲酒なんかしないか…)。日本酒サークルでは試飲会までやっていたくらいだ。これも楽しみだったのに残念だが……私の毎年の楽しみはほろ酔いで聴くJAZZサークルのLIVE♪
最近は酒も飲めないし、楽しさ半減やなと思いつつやっばり今年も足を運んだ。
JAZZにはやっばり酒がなきゃ、なんて思ってたのだが、とても心動かされたLIVEに出会ってしまった。外国語学部OBによるLIVEだ。
その前のLIVEは新入生なのか? JAZZなのに小節をきっちり刻みすぎてそこから飛び出すことなく、遊び心のない演奏で全然ノレなかった。
ただ、真面目さ、一生懸命さ、彼らの育ちの良さは伝わってきた。
阪大生の多くに感じるのは育ちの良さだ。礼儀正しく穏やかで、弾けても平和的な弾け方だ。彼らに反抗期なんてあったのか?と思わせる好青年たちだが、演奏はイマイチやなぁと思いながら、もう一組聴いてみるかと席を立たずに出会ったのがOBのLIVE。
ピアノ、ベース、ドラムはアラサーくらいの若いOBだったが、その中心でトランペットを演奏してたのが、アラフィフ?アラカン?のおっちゃんだった。バンドマスターのようだ。
JAZZでは普通かもしれないが、真面目な学生たちの演奏には楽譜があるのに、このOBバンドのメンバーの前には楽譜などない。完全に自分たちの音楽世界に入り込んでいて、メンバーそれぞれが独自の世界観を持っている。流れの中で勝手に手が動いて自由に音を奏でている。もちろん小節の区切りなんて感じさせないし完全なフリースタイル。
リズムは刻んでも、小節を刻んだらメロディーは流れない。音楽において素人くさいかどうかの違いが出るのはこの点だと思う。
演奏が何曲目かに入った時、トランペットのおっちゃんがサークルの学生に、客席に置いてあるケースを持ってきて!とジェスチャーする。何をもってこさせたのかと思ったら、なんとピアニカだった。小学生が使ってるのと同じやつ。
トランペットからピアニカを奏でだしたおっちゃん、こんな鍵盤が少なくて単純な楽器から、バンドネオンを感じさせる官能的な旋律と和音を奏でた。きっとピアノを弾かせても凄い腕前なのかもしれない。
楽器をもたなければ、ただのおっちゃんなのに、楽器をもったおっちゃんは只者ではない。カッコよすぎる! ブラボー!おっちゃん! 感動して演奏の合間に拍手を贈った。
このOBメンバー、普段は会社勤めしながら演奏活動をしているのだろうか? かなりレベルの高い演奏だったので週末ミュージシャンとしてLIVE活動を続けているのかもしれない。
学生の若さはそれだけで輝いているが、年を重ねて人生経験を積んだ大人が奏でる色気、遊び心、型からはみ出せる余裕と実力。どんな芸術においてもいえることだが、型からはみ出して人を感動させるには、基礎がしっかりしていて実力がなければならない。+人生経験から滲み出る深み。それがなければただの脱線、雑さになるだけだ。
型破りができるのは、型(基礎)がしっかりあるからこそ。
素人の学生のLIVEがイマイチやなぁと思ったのは、音楽のプロでもないし、彼らの経験不足で下手と言ってるわけではない。
もし彼らが本当に音楽が好きで、音楽家にならなくとも会社勤めしながら今後音楽活動を続けていけば、それなりの味、余裕、色気、雰囲気というものが出てくるだろう。
受験勉強は出題範囲、傾向などあらかじめ予測しながら、努力できる人なら対応出来るが(天才にはかなわないが)、人生は想定外のことが起こるし、社会にでれば、努力+経験が大切だと実感することが多い。
だから、好きなこと、志望して就いた仕事なら、何事においても継続は力なりだし、20歳そこらの若者が思うように演奏がうまくいかなかった、仕事でミスをした、誰かに迷惑をかけたかもしれないとか、そんなことで自己肯定感下げて本当に好きな事を手放して欲しくない。本当に好きなら手放せないからね。
大丈夫。若いうちは恥をかきまくり。私がそうだから。今だってそう。
私もまだ若いねんで。人生100年ならまだやっと半分。
OBのおっちゃんの音楽を聴いたら、好きを続けて年をとるのは最強やなと思った。