一九九五年三月三十日、小説を生業とする私:大文字のXは、拉致される。そして、ある教団に二つの予言書を書かされた。表の予言と裏の予言。教祖に六人の子が生まれたとき、私は隙をついて、二代目教祖と目された赤ん坊を連れて脱出した。闇医者から出生証明書を手に入れ、私のガールフレンドを母とし、啓と名付けた血のつながりのない私の息子は聾者だった。啓が八歳になったとき、私は二冊の新作を上梓した。文庫本のラジオ小説である『666FM』と、後発の単行本『らっぱの人』だ。二冊は補完しあう物語で、謎の人物DJXが共通して登場する。ラジオ局とのタイアップにより、正体不明の覆面DJXによりラジオ番組『ボム・ザ・レディオ』のオンエアが開始され、私の書いた予言書どおり動いていた啓の母:大文字のYと呼応するように、第三警察を巻き込んで、私の報復が始まる。
この人の語りの物語が好きだ。
『アラビアの夜の種族』、『平家物語』、『女たち三百人の裏切りの書』と、どれもめっちゃおもしろかったので、期待していたのですが……。
今回は、うーん、残念ながら好みではなかったです。
いや、おもしろくないわけではないのですが、背景が好みやなかったな。
東京を制圧しようとする宗教団体と、それを阻止する国家の手足と、未来を書いた作家の三つ巴。
勝つのは誰?な物語です。
リアル世界と虚構が融合するウソクソ物語は、大好物なんですが。。。
あの地下鉄にサリンを撒いたカルト教団がモデルで、蓬髪で盲目のグルとかイニシエーションとかそのままです。
原因は、きっとこれやな。
違うのは、教祖が警察から奪還され、両腕を切断しながらも教団に君臨していること。
左腕は銃弾を受けていてやむなしでしたが、無傷の右腕は奪還劇に殉教した二十八人の信者のためにと自ら望んで切断します。
そうすることによって、より神聖を纏えると判断したからなのですが、まっとうな人間から見れば、バカじゃないのひと言でしょ。
そして、啓の実母である大文字のYなる女が、大文字のXの書いた予言書をもとに教団をしきり「オリンピック、のち、東京制圧」を目指します。
もちろん、啓を連れ戻し、二代目教祖に据えることも念頭に置いているので、X親子を抜かりなく見張っています。
さて、大文字Xは、啓を守れるのか。
盲目の教祖と聾者の二代目候補。
小説(目)とラジオ(耳)と歌劇(目と耳両方)。
あちらこちらに、いろいろ仕掛けが施されているのですが、これが結構メンドクサイ設定です。
その上に宗教が絡むので、もひとつ苦手です。
ホンネを言うと未消化です。
もう一度読みたいところですが、図書館本で返却が迫っているので返しちゃうと再読はないな。
気になったのは、Xが書いた二つの小説です。
チラチラ登場するのですが、なんかよく解らなくて、読めるものなら通しで読んでみたいです。
ちなみに、教団に対する宣戦布告を意味する『らっぱの人』は、フォークナーの『八月の光』が、影響しているそうなのですが、んー予想がつきません。
なかなか手強い作品でした。
その割に、ラストは、DJXも巻き込んでコメディっぽく、あとはご想像にお任せします的で、突き放された感が無きにしも非ずです。
十字が傾ぐと、確かにXになりますが。。。
ある集団が世界を壊すなら、個人は世界を鎮める
【おまけ】
◆『サロメ』ワイルド
「キリストの出ないキリスト戯曲」とは、言い得て妙ですね。
同じように、絵画でもキリストを出さないキリスト絵画というのがあるそうです。
ジェームズ・ティソの「キリスト磔刑図」は、キリスト目線で描いた磔刑図だそうです。
なるほど。
◆『アブサロム、アブサロム!』フォークナー
「アブサロム」とは、ヘブライ語で”父の平和”を意味するのだそうです。