猫のエルは  文・町田康 × 絵・ヒグチユウコ | 青子の本棚

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「すぐれた作家は、高いところに小さな窓をもつその世界をわたしたちが覗きみることができるように、物語を書いてくれる。そういう作品は読者が背伸びしつつ中を覗くことを可能にしてくれる椅子のようなものだ。」  藤本和子
  ☆椅子にのぼって世界を覗こう。

猫のエルは/講談社
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天尭(てんぎょう)元年一月一日、森の中の広場で第三十四回諧和(かいわ)会議が開かれた。出席者は、人間のエネルギー政策の蹉跌で自然界に変異がおこり、何故か言葉を話せるようになった動物たち。会議は、様々な議案に反対する者もなく、和やかに進んでいたが、蛙の議長が、第十二号議案『猫君の暴虐に関しての対策案について』を議題に上げた途端、皆は自由狼藉に生きる猫を非難し始めた。数々の狼藉を止めさせるべく、まずは猫が言葉を理解しているかどうかの調査を行うことになった。 ――「諧和会議」



ふふ~ん。音譜
なんともとぼけた動物会議です。

次々と猫の元を訪れる動物たち。
しかし、ことごとく成果をあげられません。

強面のドーベルマンさえも、猫のかわいさに魅了ラブラブされ。。。
うーん、解るなぁ。


諧和とは、他の人とよく協調すること。

人間が滅んだ理由は、言葉を使うのではなく言葉に使われてしまい、言葉の奴隷になったから。
その反省を踏まえて、動物たちが諧和会議を開いているのですが、ラストに開かれた諧和会議が、天尭三年って。目汗
議題があがってから三年も経ってるやん。

このぐだぐだな会議スピードは、相変わらず反省されんかったみたい。


そして、孤高の猫君が理解する「言葉がもたらすもの」にガツンと一発くらった感じです。

うーん、猫君、どこまでもクールだなぁ。ねこ



肉球「猫とねずみのともぐらし」 

既読のため、感想は、こちらで ⇒ (=^・^=)



肉球「ココア」

ある夜、泥酔した私は、猫と人が入れ替わった不思議な世界へ紛れ込む。叫び


あ~、なんか、こんなこと皆一度は想像するよね。
猫がヒエラルキーの頂点で社会を形成し、ヒトは、現在の猫の地位に甘んじる世界。
ん、しない?

で、以前飼っていた猫:ココアに助けられるのですが、ココアちゃんって、ムフフ、町田さんちの錆猫ちゃんだよね。
猫エッセイで、読んだ記憶あるもん。

悲惨な環境の野良人間になった私の目線からダブって、リアル野良猫の恐怖や絶望、餓え、痛み・苦しみが浮き彫りにされています。

愛護協会から推薦状貰えるかも。



肉球「猫のエルは」

私の家には猫はいない
猫はいないがエルがいる


こちらも猫エッセイに登場した町田さんちのエルちゃんに捧げる?詩。

一見?な文章だけど、実は、深いこの言葉。
エルへの愛情に、きゅんきゅんします。

エル = 猫   〇
猫   ≠ エル  ×
エル ⊂ 猫   〇

エルは猫だけど、すべての猫がエルというわけではなく、かけがえのない唯一無二の猫がエルなんだとあえて言う。
うちの子がいちばんラブラブってヤツです。

そして、結びの一文↓にも、納得デス。


見ているだけで丸儲け

確かにね、見てるだけで幸せになるのが猫KURO-L1なんだなぁ。



肉球「とりあえずこのままいこう」

可愛がられていた私(犬)は死んだ。そのとき、家の人は、「生まれ変わって戻ってこい」と言った。だから、私は、人間になって元の世界に戻ることになっていたのも断って、犬になって、元の家に戻りたいと希望した。しかし、元の世界へ戻った私は、……。猫だった。


はっ、はっ、はっ。
とかく、この世はそうしたものさ。

しかし、猫も悪くないと思う元犬の私。
順応力高いなぁ。


ラストのスピンクらしき犬と猫が並んだイラストに、心が和みお茶ます。



どれもこれも、作者の猫愛ドキドキがあふれていて、猫好きさんに超おススメです。
描かれた猫の生態に、ヘドバン間違いなしグッド!です。


まぁ、ちょこっと毒は含まれていますが。。。
でなきゃ、町田康じゃないしね。 ネコ 肉球




本
「私はこの世界では言語を持たず、にゃあにゃあ、としか言えないんだけど、なんでココアとだけは話ができるのだろうか」
「前の世界で私はにゃあにゃあとしか発語しませんでした。でもあなたは私の言うことがわかったじゃありませんか。同じことですよ」