ザ・中島らも らもとの三十五光年  鈴木創志 | 青子の本棚

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「すぐれた作家は、高いところに小さな窓をもつその世界をわたしたちが覗きみることができるように、物語を書いてくれる。そういう作品は読者が背伸びしつつ中を覗くことを可能にしてくれる椅子のようなものだ。」  藤本和子
  ☆椅子にのぼって世界を覗こう。

ザ・中島らも: らもとの三十五光年 (河出文庫)/河出書房新社
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著者は、ボリス・ヴィアンの『お前らの墓につばを吐いてやる』 の翻訳者です。
訳者紹介で、この本を上梓していることを知りました。

新聞の日曜日の読書コラムで、仏文学者として、お名前は時々拝見していましたが、まさか、らもさんのお友だちだったとは。。。


そういえば、『頭の中がカユいんだ』 で、渡仏した友人の話が出てきてたけど。。。
あぁ、あの人やったんや。


ググってサーチみると、ミュージシャン音譜とも。
ニューウェーブバンド:EP-4の初期メンバーで、キーボードって。。。目

ということは、EP-4のSOUさん?


そうか、らも作品の常連さんなんや。
というか、めっちゃ近いおともだちやん。

らもさんの話、多少盛ってるとはいえ、あれもこれも、実際にあったエピソードやったんや。
裏とれたぜ。グッド!


いしいしんじが、どこかで、「中島らもは話を飼っている」と書いていたのに、なるほどと納得します。

この本で書かれている方が、実際により近いのなら、らもさんの方は、確かに飼いならしてる感わんわんありますっ。
 


”りりら”な思い出話に、感無量でございます。




らもさんの小説には、どこか露悪というより、偽悪的なものを感じていました。

それは、例えるなら、ナイスタイミングで、お料理を準備しておきながら、約束の時間5分前に、玄関のチャイムを鳴らしたら、できたてほかほかを冷蔵庫にぶっこんで、ホントに来るとは思わんかったよっ、とか言いながら、こんなんしかないけどと、テーブルに並べなおし、招かれた人に負担を感じさせない、みたいな。

それが、らもさんの優しさでもあると思っていました。


ところが、「砂漠のスカラベ」と題された丹生谷貴志氏との対談では、らもさんは、「バッド・チューニングに憧れつづけたグッド・チューニングの人」だったといいます。

「結局はワルになれないいい奴」じゃなくて、残酷なほど「グッド・チューニング」の側にしかおれない人なのだそうです。

コインコインを投げたら、必ず表が出ちゃう。
かと言って、裏を出したいわけでもなくて……。

でも、垂直に立つなんて芸当も、誰もができるわけじゃなし……、って感じでしょうか。


スクエアでもアウトローでもなくて、どちらにも属していない。

んー。
なら、空中を漂って、着地しないようにするしかないやん。

風を孕んで、どこまでも地面に落ちないコンビニ袋みたく。。。コンビニ袋



私のリテラシー不足で、なんだか変な感想になってしましました。ドクロあせる


でも、らもさんの音譜「いいんだぜ」は、間違いなく名曲やと思います。
放送禁止用語やけど、いいんだぜ。

らもさんは、やっぱり言葉の達人やな。
そして、やさしい。




本 「♪いいんだぜ…君がアル中でも…君が化け物でも…いいんだぜ…いいんだぜ♪♪♪」