モナ・リザの背中  吉田篤弘 | 青子の本棚

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「すぐれた作家は、高いところに小さな窓をもつその世界をわたしたちが覗きみることができるように、物語を書いてくれる。そういう作品は読者が背伸びしつつ中を覗くことを可能にしてくれる椅子のようなものだ。」  藤本和子
  ☆椅子にのぼって世界を覗こう。

モナ・リザの背中/吉田 篤弘
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うで卵と食パンとコーヒーの朝食の日々を繰り返す50歳を迎えた私:「曇天」先生は、週の半分は大学に身を置き、残りの半分は、有楽町の地下街を散策する毎日。助手のアノウエ君から上野の美術館にダ・ヴィンチの『受胎告知』が来ているという情報を得る。アノウエ君は見に行かないと言う。ならばと、出かけた私は、『受胎告知』の絵の中へぐいぐいと引き込まれて。。。




うひゃひゃひゃひゃぁ~。


『パロール・ジュレと紙屑の都』 では、本の中に入って移動するスパイが出てきたけど、今度は絵の中かい。
それも、超有名どころの絵ばかり。


ダ・ヴィンチの『受胎告知』。

アノウエ君(実はイノウエ君)所持のワイエスの『クリスチーナの世界』のポスター。
有楽町の地下街から繋がるビルの十一階にある美術館に常設展示された「俵屋宗達・風神雷神図(模写)」。

この3つの絵の中でいつも出会う西洋人。

怪しい~。
限りなく変だ。


でも、恋の矢スキ。


いやぁ、いいなぁ。
これ。


ダジャレあり、屁理屈ありの大嘘つき野郎め。
にまにましてしまうではないですか。



作者は1962年生まれで、今年ちょうど50歳。
どうやら曇天先生は、作者の分身のようです。

そろそろ人生の答えを出す年齢になり、ふと鏡でも見ようものなら、そこにはお腹のでっぱったおじさんがいる。
え~っ!、と焦ってあたふた。
そんな雰囲気が、充満している作品です。



4度目は、先生ではなく、なんとアノウエ君が、銭湯の富士山の絵の中へ。
先生はというと、魂だけアノウエ君の脳と合体。

あはは、嘘すぎ~。



本

「じゃあ、魂ってなんです?」
「君はそんなことも知らんのか。魂とは屁だよ。逆に言うと屁は魂。交換しても問題はない。アクビもまた同様。クサメも同じ。ゲップとかため息とか、これすべて魂だ。およそ、ヒトから漏れ出る見えない気はこれすべて魂なのだ」




フージンからの受け売りをアノウエ君に披露する曇天先生。


どこを読んでも、そこはかとなく可笑しくて、餡パンのヘソやらドーナツの穴やらを食って暮らしたいなどとおっしゃる先生は、密かにダイエットに励んだ経験もおもちです。


滑稽です。



人生の半ばを過ぎ、残った年を数える時期におなりだからでしょうか。

飄々としたなかに、少しばかり哀愁もただよっていたりもして、よいではないですか。
うふふ。



物語の「冒険からの帰還」の帰り道が必ず端折られるという疑問はツボでした。
私もそー思うもん。



お正月鏡餅には、こういう罪のない嘘ばなしが読みたかったのです。

当りチョキだ!




絵の中の世界から、現実の世界へ帰還した先生は、TVのニュースで、ルイジアーノ?の代表作『十二人の船乗り』の絵(これは創作っぽいです。ぐぐってもヒットしませんもん)から、左から二人目の若い船乗りが消えたことを知ります。
なんと、その船乗りこそ、絵の中で出会ったあの西洋人。


絵の中で迷子になった彼を助けんと、箪笥を通して帰還したアノウエ君と再び絵の中へ。



残りのページも少なくなり、おっ、やっと『モナ・リザ』の登場かとの期待も虚しく、これまた、みょうちきりんなスキンヘッドの三日坊主なる坊主:ニシンムラ其の一が屏風に描く「駐車場」の上手な絵のなかへ。

『モナ・リザの微笑み』の背景って、ちょっとオドロオドロシイから、どんなだろうって期待してたんですけどね。

「坊主が屏風に上手に坊主じゃない絵を書いた」という洒落の方が採用されたみたいです。

残念!




どこまで、遊べば気がすむのか、最後までダジャレや地口がおてんこもり。
さて「モナ・リザの背中」と、どう繋がるのか。

気になる方は、ぜひご一読を!


あぁ、そう言えば、この本のテーマも、「人とつながる」なんだな。




本みんな結局、つながりたい。こればっかりは昔もいまも変わらない。人間っていうのはどういう了見なのか、三日坊主で飽きちまうもんが山ほどあるっていうのに、人とつながることだけは飽かずに何百年何千年とつづけてきた。




そう、私も、このブログにおいで頂いたあなたと繋がってますもんね。


本年も、どうぞよろしく、おねがいいたします。