迷宮百年の睡魔  森博嗣 | 青子の本棚

青子の本棚

「すぐれた作家は、高いところに小さな窓をもつその世界をわたしたちが覗きみることができるように、物語を書いてくれる。そういう作品は読者が背伸びしつつ中を覗くことを可能にしてくれる椅子のようなものだ。」  藤本和子
  ☆椅子にのぼって世界を覗こう。

迷宮百年の睡魔/新潮社

¥1,995

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2114年サエバ・ミチルと相棒のウォーカロン(ロボット)・ロイディは、かつて一夜にして周囲の森が海に沈み島となったイル・サン・ジャックの街・シビを取材のため訪れる。シビは地球の動きと共に回転していて、常に太陽が同じ方向に見える。そして、なぜだかジャーナリストを拒み、メディアの取材を拒否してきた。しかし、ミチルの取材はすんなりと受け入れられた。宮殿、モン・ロゼには、かつて訪れたルナティック・シティの女王であるデボウ・スホの母・メグツシュカが住んでいた。彼女の息子であり王でもあるシャルル・ドリィは、ミチルのかつての恋人クジ・アキラと面識があり、アキラそっくりのミチルに惹かれている。ミチルがシャルル・ドリィと会見中、曼荼羅の砂絵の中心で、僧侶長のクラウド・ライツの首なし死体が発見される。よそ者のミチルが疑われ……。


「女王の百年密室」の続編です。
今回は首なし死体が発見され、容疑者としてミチルが疑われます。
作者の他の作品を知らないのでなんともいえないですが、このシリーズは、謎解きよりもミチルという特異な人物設定により、「人間とは?」とか「生きるとは?」という哲学的な問いかけが濃厚に感じられます。
さらさら書かれているので流してしまえばそれまでなのですが、内容はずっしり重くのしかかってきます。







【注意】以下、ミチルの秘密に触れます。
これから読もうと思っている方は、読まないほうがいいかな。


「~密室」のラストで明かされたミチル&ロイディの正体からより深く踏み込んで、「生きる」という意味の問題が提起されます。
実は、ミチルとアキラはキョ―ヤに襲われたとき死んでいるはずだったのですが、脳と左目以外ほぼ無傷なアキラの身体にミチルの脳を合体させたのが現在のミチルと呼ばれる人間なのです。
そして、アキラの頭に入りきらなかった残りの脳を収めたのがロイディという複雑な設定になっています。
医療技術を駆使して2人の人間から出来上がったほぼ人間がミチルというワケ。
恋人の身体の中で行きつづける脳。


ロイディはあくまでミチルの脳を収納するケースなのですが、ミチルとの会話で入力された情報により、他のウォーカロンと違い人間的な感情?を徐々に修得しつつあります。
情報を的確に処理するロボットの部分と曖昧さや矛盾を許容する人間的な部分の両方を持った特異な存在になりつつあり、そのときどきに振り子のよう見せる幅のある対応が可愛く、ミチルがときどき人間のように扱うのに機械の対応でこたえる二人のシーンが面白いです。


ミチルは決して優等生という訳ではありません。
神なんて信じないし、道徳なんて興味ない。
「~密室」では復讐も果たしています。
どちらかというと、自分が満足ならそれでいいという自己中心的なタイプです。
ですが、ときには他人のために何かしてあげたくなることもあり、ウォーカロンであるロイディに対しても、単なる機械ではなく友人のように接します。
善と悪が普通に混じり合った普通の人間なのです。

普通の人間であるけれど、その経歴が普通ではない。
そういうミチルであるので、常にミチルの頭の中で渦巻いている「生と死」、「死と眠り」、「犠牲と奉仕」、「神と道徳」、「人間」等についての思考がより強烈に感じられます。


そして、この舞台となったシビの住人たち多数は、女王・メグツシュカによって、本人たちの気づかぬ間に脳と身体を分離されクロンとなって暮らしています。
脳さえ安全に保管されていれば、パーツ(身体)がたとえ傷ついても取替え可能であると考えたメグツシュカの研究実験にされています。
ところが、自分の存在について考え始めたクロンは、単なるケースである身体の必要に疑問を抱き始めます。
ここのところ、「百億の昼と千億の夜」の中のカードとして管理されている人々を連想しました。
平和で安全な生活を送ることは人々の変わらぬ願いだけれど、自分で考えることを止め、他人にすべてを預けて暮らすのはやはり違うと気づいてしまう。


   人間って、なんだ?
   どんな状態なら、人間といえるのだろう。
   人間であることと、人間でないことに、
   どんな違いがあるというのか。
   それは、価値なのか?
   人間であることが、そんなに大切なことなのか?
   何故だ?
   死んでいる人間は、もう人間ではないのか?
   眠っている人間は、どうだろう?
   どうして、生きていないと駄目なのか……?


ミチルとアキラ。
ミチルとロイディ。
人間とウォーカロン。
人間とクロン。
脳と身体。

2つのものを比較することによって、作者の曖昧で矛盾だらけの人間への強い賛美が感じられました。



 「人間はまだ進化が必要ですか?」
 「そうね。それは、人間が必要か、という問と同じ」
 「人間は、必要ですか?」
 「必要なものであってほしい」メグツシュカは答える。「願うという行為は、何かが必要だと信じることです」 



最後にミチルたちと一緒に街を後にするイザベルとケンに人間の希望が見えます。
そして、新たに女王命令により加わったウォーカロン・パトリシアと一緒に次の事件に出会うのが楽しみなラストでした。




秋季 >  私も「迷宮百年の睡魔」大好きです。
シャルルがとてつもなく可愛そうですね。
そして、女王は強い!
 本当にいいですね。
ロイディとパトリシアの会話もいいです。 
(2006/09/16 12:05)
青子 > 秋季さん、はじめまして。レスありがとうございます。登場人物たちがとても魅力的で、好きです。テーマもちょっと哲学的で考えさせられます。続編をどんどん書いてほしいです。パトリシアのからみもこれから期待できそうですね。楽しみです。 (2006/09/16 22:01)