「弊社千葉支店協力専門業社会研修旅行」で「徳島」を訪れ、あの

   「大塚国際美術館」に来ております。

   「世界の名画」を「陶板に再現する事」に成功し、多くの来場者を

   楽しませています。

 

   「ゴッホ 七つのヒマワリ展」

   「ファン・ゴッホ(「フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ」

   が本名で、Vanをファン・ヴァンどちらで読むか、オランダ語では

   その方言で Vを無声化してファンと読む場合と有声化してヴァンと

   読む場合両方あるとか)」にとって「ヒマワリ」は、「明るい南仏、

   ユートピア」の象徴で、「アルル」滞在中に盛んに「ヒマワリ」を

   描いたと云います。

   1888年8月から1889年1月にかけて描いた「花瓶に生けら

   れた『ヒマワリ』をモチーフとした油彩絵画を7点集めての展示で、

   これらの原画は世界各国に散らばっており、一枚は個人所蔵の為に

   見る事か困難であり、更に一枚は焼失して「幻のヒマワリ」と呼ば

   れています。

   (パリに於いて制作されたものを含め、「ヒマワリ」は合計11点

   または12点とする定義があるが、この場合「花瓶に挿されていな

   い ヒマワリ」も含めている)

   (ほぼ同様の構図が複数あることは、アルルでの生活・制作の拠点

   『黄色い家』の部屋を飾るためと云う・・・ヒマワリの本数が 3・

   5・12・15本と異なっています)

 

   「展示コーナー入口」に

   「ヴァン・ゴッホ『ヒマワリ』の前に立つ女」

   1920年頃 イサーク・イスラエルス

   オランダ・アムステルダム ゴッホ美術館

   タイトルを「ヴァン・ゴッホをたたえて」と変えても良い絵で「ゴ

   ッホ」の代名詞とも云うべき「ヒマワリ」に見入る女性を描いてい

   る。 現代の感覚からすると、煙草を吸いながら名画に見入ると云   

   うのはいささか違和感があるが、この「ヒマワリ」はゴッホの弟の

   「テオ」の妻から「イスラエルス」が借出したものである。 「ゴ

   ッホ」は似たような「ヒマワリ」を何点か描いているが、花の位置

   関係、画面を水平に走る青い線などからして、ここに在るのは「ロ

   ンドン ナショナル・ギャラリー」にある(1924年にテオの妻・

   ヨーから買った)「ヒマワリ」と思われる。 ただし、ロンドンの

   原画とは鏡に映った時のように花の位置関係がほぼ左右逆である。

   これが画家が構図の良し悪しを判断する時に使う「手」とも言われ

   ている。つまり左右逆にしても良い絵なら真に良い絵と云う判断で

   ある。 作者の「イスラエルス」は「オランダのミレー」と呼ばれ

   た「ヨーゼフ・イスラエルス」の息子で、オランダにおける印象派

   を代表する画家の一人とされる。

 

 

   「ヒマワリ」

   1888年

   個人所蔵(アメリカ)

   「ゴッホ」が「ヒマワリ」を描き始めるのは「アルル」に移る前

   のパリ時代で、いずれもテーブルの上に乗せた切り花である。

   「アルル」に来て初めて「花瓶」に入った「ヒマワリ」を描いた

   が、これはおそらくその最初のもので、花の数が少ない分(3本)

   シンプルな構図である。 青緑の背景はミュンヘンとフィラデル

   フィアの「ヒマワリ」を予告するが、緑の花瓶は他の「ヒマワリ」

   には登場しない。 これら三輪の「ヒマワリ」は ほとんどその位

   置関係を変えずに、かつて「芦屋」にあった「幻の ヒマワリ」の

   上半分に引き継がれている点に注意したい。   

 

 

   「ヒマワリ」

   1888年

   1945年兵庫県芦屋市にて焼失、調布市武者小路実篤記念館が

   所蔵する画集写真より再現(5本)

   二番目の作品とされ、1920年に「実業家・山本顧彌太氏」が、

   「白樺派美術館」の設立を考えていた「武者小路実篤」の依頼に

   よってスイスにて7万フラン(現在価格:約2億円)で購入する。

   東京・大阪で「展覧会出展」を行い人気を博すが、「美術館設立

   構想頓挫」により、「芦屋・山本邸」に飾られていたが、太平洋

   戦争末期の1945年「米軍空襲(阪神大空襲)」を受けて焼失。

   「大塚国際美術館」が原寸大の陶板で本作を再現した。

   「ゴッホのヒマワリ」で有名なのは「アムステルダム・ロンドン

   ・ミュンヘン・フィラデルフィア・そして東京(損保ジャパン日

   本興亜美術館)」の五つの美術館所蔵の大型「ヒマワリ」である。

   これらは5点は、いずれも「アルル時代」の作品だが、更に2点  

   の「花瓶に入った静物」としての「ヒマワリ」が描かれている。

   この「ヒマワリ」は他の大型の「ヒマワリ」ともサイズ的に遜色

   なく、構図(花の数、配置)、背景の色などの点で独自の作品で

   あり、5点の「大型ヒマワリ」の原点ともなった作品である。

 

 

   「ヒマワリ」

   1888年

   ドイツ・ミュンヘン ノイエ・ピナコテーク(12本)

   「ゴッホ」は間もなく「アルル」で合流するはずの「ゴーギャン」

   への期待感もあり、「アルルの アトリエ」を 一連の「ヒマワリ」

   の絵で飾る事を考えた。 花瓶に入った大型「ヒマワリ」が 何点

   もあるのはその為である。 この作品は7点の「ヒマワリ」の内、

   三番目に描かれたもので、青系統の背景が花の黄色を引立たせる。

   何点も描いて行くにしたがって「花の数」が 次第に増えるのは、

   よりゴージャスで装飾的な効果を狙ってであろうか。

 

 

   「ヒマワリ」

   1888年

   イギリス・ロンドン ナショナル・ギャラリー(15本)

   向日葵とも書く「ヒマワリ」は、英語ではサンフラワー(太陽の

   花)で、「向日性」の画家として太陽に、その光に憧れた「ゴッ

   ホ」には最もふさわしい花であった。 同時に陽光あふれる夏の

   花でもあり、「ゴッホ」が「ヒマワリ」に熱中したのも頷ける。

   ただし、どの花も一様に満開ではなく様々な段階が描かれている。

   いずれにしても「花の命は短くて」で、制作はまた時間との競争

   でもあった。 太陽の光を黄色と見た「ゴッホ」にとって黄色は

   一種の「聖なる色」であり、ここでは背景の色まで黄色系で統一

   されています。

   「ゴッホ」自身が気に入った「12本のヒマワリ(ミュンヘン作

   品)」を基に制作した四番目の「ヒマワリ」だそうです。

   (2022年に「環境団体ジャスト・ストップ・オイル」がトマ

   トスープを投げつけた事件の「ヒマワリ」がこれです・・・硝子

   に覆われていたので額縁が損傷した程度の被害で済んだ)

 

 

   「ヒマワリ」

   1889年(1888年12月の「耳切り事件」直前の作とも)

   日本・東京 SOMPO美術館 (15本)

   ドイツ系のユダヤ人銀行家「パウル・フォン・メンデルスゾーン=

   バルトルディ」が所有していたが「ナチス・ドイツ」の略奪を避け

   る為に本作を含む美術品コレクションを手放し、1987年3月に

   損保ジャパン(安田火災海上)がロンドン・クリスティーズオーク

   ションで2250万ポンド({当時の為替レートで約53億円)で

   落札して話題になった(最終的購入金額:手数料込み 約58億円、

   これは「東郷青児美術館(現 SOMPO美術館)」の入館者数向上を

   願っての購入とか。 贋作説も囁かれたが 1999年に真筆断定。

   また後日、「パウル・フォン・メンデルスゾーン=バルトルディ」

   の相続人から本作品の返還または時価相当額、更に約1000億円

   の損害賠償請求があった)

   この「ヒマワリ」には署名が無いが、花の位置関係や構図、それに

   花瓶を乗せた台(テーブル)の色は、1888年夏に掛かれた「ロ

   ンドンのヒマワリ」に近く、ヒマワリの季節が終わり生花からは描

   けなくなったので「ロンドンのヒマワリ」を年が明けてから模写し

   た可能性が考えられている。 (元所有者は「大音楽家・メンデル

   スゾーンの末裔との事)

 

 

   「ヒマワリ」

   1889年

   オランダ・アムステルダム ファン・ゴッホ美術館(15本)

   「ファン・ゴッホ」が病院から「黄色い家」に戻ってからの作品で、

   「フィラデルフィアのヒマワリ」と同時期に描かれたと云われる。

   構図的にも色彩的にも、夏に画かれた「ロンドンのヒマワリ」に酷

   似しており、その模写とされる(「東京のヒマワリ」の模写とも)

   ただサイズに拘れば、数センチの違いではあるが、5点のうちでは

   「東京のヒマワリ」が最も大きい。 「ゴッホ」はこの1889年

   1月に立て続けに、やはり5点の似たような「子守歌」「ルーラン

   夫人」を描いており、これらと「ヒマワリ」との競演、並べて部屋

   を飾る事を考えていたようである。

   (この作品は、振動や気温・湿度の変化による損傷を避けるために

   館外への貸出を禁じる措置がとられている・・・アムステルダムに

   行かないと見れないと云う事は、この「大塚国際美術館」で陶板の

   名画として見れるのは貴重)

 

 

   「ヒマワリ」

   1889年

   アメリカ・フィラデルフィア フィラデルフィア美術館(12本)

   「ヒマワリ」の作品のうち、「ミュンヘン」のものは1888年の

   盛夏に描かれ、一方この作品は1889年1月の制作とされる。

   つまりこれは「ミュンヘンのヒマワリ」の模写とされている。

   黄色一色の他の3点に対し、これら2点の背景は明るい緑で、花瓶

   の色は部分的に異なるが、署名の位置まで同じである。 花の数が

   少ない分、サイズが若干小さい。 他の4点は描かれた後、パリの

   画商に勤務していた「弟・テオ」に送られたが、これだけはその形

   跡がなく「アルル」に残されていた。