オランダの画家でバロック期を代表する画家の一人である「ヨハネス   

   ・フェルメール(本名:ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デル

   フト)」は、映像のような写実的な手法と綿密な空間構成、そして光

   による巧みな質感表現を特徴としている。

   彼はその生涯のほとんどを故郷「オランダ・デルフト」で過ごし、初

   期の「物語画家」から「風俗画家」へ転向し評価を高めたが、寡作で

   あり、現存する作品点数は研究者によって異なるが32から37点と

   少なく(この他記録にのみ残る作品が少なくとも10点はあるとか)

   また贋作も多いと云います・・・ナチスドイツの国家元帥ゲーリング

   の妻の居城から「キリストと悔恨の女」が押収され、オランダの至宝

   を敵国に売却したと「ハン・ファン・メーヘン」が逮捕されたが、彼

   は自分が描いた贋作の一つと主張し、法廷で衆人の前で贋作を描いて

   見せたと云います(「ハン・ファン・メーヘン盗作事件)」  

   「フェルメール」は、父親の家業を継ぎ、裕福な義母の財力等もあり、
   更に「デルフトの醸造業者・投資家 ピーテル・ファン・ライフェン」

   と云うパトロンにも恵まれ、当時純金と同じほど高価であった「ラピ

   スラズリ」を原料とする「ウルトラマリン」を惜しげもなく絵に使用

   出来て、それらの援助によって作品をじっくり丁寧に熟し年間2・3

   と云う寡作でも問題がなかったようです。

   しかし「第三次英蘭戦争」が勃発してオランダの国土が荒れ、経済も

   低迷し、オランダの絵画市場が大打撃を受け、更に加え「パトロン:

   ファン・ライフェン」が亡くなり、義母の財力が落ちたことで低迷の

   時代を迎え、あまりにも寡作であり、それらが個人コレクションで公

   開されていなかったこともあり「フェルメール」の名は急速に忘れら

   れていった。

   その後、19世紀のフランス画壇に於いて「絵画は理想的に描くもの、

   非日常的なもの」と云う考えであったものに反旗を翻し、民衆の日常

   生活を理想化せずに描く潮流が生まれ(後の「印象派」)、この時代

   背景の中で「写実主義」を基本とした「17世紀オランダ絵画」が人   

   気を獲得し「フェルメール作品」が再び高い評価を得て行きます。

   「フェルメール」は数多くの作品が「盗難」に遭っている事も有名で、

   アムステルダム国立美術館所蔵の『恋文』はブリュッセルへの貸出し

   中に盗難に遭ったが、程なく犯人は逮捕されたものの、盗難の際に木   

   枠からカンバスをナイフで切り出した為に、絵の周辺部の絵具が剥離

   するなど作品に深刻な被害を与えた。

   『ギターを弾く女』はロンドンの美術館 ケンウッド・ハウスから盗ま

   れ、無期懲役のテロリスト移送の要求道具にされ、また5週間後にも

   ダブリン郊外の私邸から『手紙を書く婦人と召使』を始め19点の絵

   画を盗んだ犯人からも、同じテロリストの移送と身代金50万ポンド

   の要求があったが、「イギリス政府」は要求じず、後日無事保護する

   事に成功した(『手紙を書く婦人と召使』は二回目の盗難に遭ってい

   るが、その際は「おとり捜査」によって犯人グループは逮捕され、作

   品を取り戻しています)

   ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館から『合奏』

   や レンブラント・ドガ・マネ等の作品 計13点が強奪され、その被

   害総額は 当時の価値は2億ドルから3億ドルと云われる 史上最大の

   美術品盗難事件が発生したが、これらの絵画は依然として発見されず

   「フェルメールの技法」とは・・・人物など作品の中心をなす部分は

   精密な描写になっている一方で、周辺の事物はあっさりとした描写に

   留め、見る者の視点を主題に集中させ、画面に緊張感を与えている。

   彼の用いた「遠近法」は、まず絵の一部に焼失点となるポイントを決

   め、そこに小さな鋲のようなものを打ち、それに紐を結びつけて引っ

   張り、この紐にチョークを塗って、大工道具の墨壺のように扱う原理

   で直線を引いたようです。 「フェルメール」の作品を検証すると鋲

   を打ったと思える場所に小さな穴が開いている事、またその「穴」か

   ら窓やテーブルの角へのラインを確認すると一致していることにより

   上記の手法がとられた可能性が高いと思われる。  

   窓から差し込む光を反射して輝くところを明るい絵具の点で表現する   

   「ポワンティエ」と云う技法も特徴の一つであり、「フェルメール・

   ブルー」と称される「鮮やかな青色」は「ラピスラズリ」に含まれる

   「ウルトラマリン」と云う顔料に由来するが、この顔料は非常に高価

   であり、彼の義母やパトロンの財力が窺われる。

 

   「地理学者」

   1669年頃 ヨハネス・フェルメール

   ドイツ・フランクフルト シュテーデル美術研究所

   地理学者が海図か世界地図をテーブルの上に広げ、右手にコンパス、

   左手に書物が握られている。 激しく光が差し込む窓の方に一瞬目

   を注ぐ思索的なその姿からは、学者らしい知性や学殖が十分に感じ

   られる。 箪笥の上の地球儀は右壁を飾る航海図とともに、地理学

   と結びつく一方で、海外雄飛を遂げる17世紀オランダには不可欠

   のテクノロジーであった。 その意味で本作は室内風俗画が主流の

   「フェルメール」の世界では異質なものであろう。 壁の上部にサ

   インと1669の年記があり、1668の年記を持つ「天文学者・

   ルーブル美術館」とは、ポーズこそ違え、モデルの容姿や東洋風の

   ガウン、部屋の設定などがよく似ており、対作として構想された可

   能性が高い。

 

 

   「ワイングラスを持つ娘」

   1658年~1659年頃 ヨハネス・フェルメール

   ドイツ・ブラウンシュヴァイク 

   ヘルツォーク・アントン・ウルヒト美術館

   ブルジョワ風の中年男性が 腰をかがめ、上目遣いに 右手を添え、

   娘にワインを飲み干しように促しています。 右手に持つワイン

   グラスが心理的にも画面の中核をなすだろう。 しかし、その娘

   は男の誘惑をすべて見透かしており、妖艶な笑みを鑑者の方に投

   げかける。 美しい虹色と、繊細な襞を生む彼女の衣装がこの絵   

   の主役であるかのようだ。 テーブルの上には純白のワイン壺の

   ほか、皮を剥ぎかけのレモン。 その向こうで、メランコリック

   な気分の男が頬杖をついて座り、男女の戯れに対して無関心を装

   っている。 17世紀オランダでは、それが男女の恋愛か娼家の

   情景かは別として、室内での色恋沙汰のテーマが好んで描かれた。

   しかし、本作で注目されるのが背壁の、厳めしそうな騎士の肖像   

   画と、左手に見えるステンドグラスの手綱を持つ女性である。

   前者を現世での世俗的な生活への監視、後者を伝統的な節擬人造   

   人像による警告と理解すれば、教訓画と見なしてよい。 ステン

   ドグラスの右下に小さくサインが認められる。   

 

 

   「音楽の稽古」

   1662年~1664年頃 ヨハネス・フェルメール

   イギリス・ロンドン 王室コレクション

   「フェルメール」の室内画で最も多いのが「音楽」に関わるテー

   マである。 完璧な透視図法のもと、我々の眼は豪華な絨毯、青

   い椅子、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを越えてヴァージナルを弾く

   後ろ姿の女性に注がれる。 その隣には師匠か恋人か、紳士風の

   男が彼女の方を見つめて立つ。 女性はそれに応えるかのごとく、

   その上方の鏡にうつった姿では、男の方に顔を向けようとする。

   その奥にはイーゼルの脚も映り、画家の存在がほのめかされた。

   ヴァージナルの蓋にはラテン語で「音楽は歓びの友、悲しみの癒

   し」とあり、恋のレッスンを授けられているのだろうか。 実際

   には小さいが、壮大に見せたこの空間において。右隅で輝く白磁

   のワイン壺が図らずも全画面の要をなしている。

 

 

   「手紙を読む女」

   1663年頃 ヨハネス・フェルメール

   オランダ・アムステルダム アムステルダム国立美術館

   17世紀オランダの風俗画には、手紙を読んだり書いたりする事

   に没頭している女性の絵が数多く見られる。 「フェルメール」

   はことのほかこの題材を好み、繰り返し描いた。 女性の頭部は

   背後に掛かる地図と全くの同系色で描かれ、「フェルメール」が

   あえて自らの技術を試しているかのようである。 控えめな色彩

   の調和は、全体の静まり返った雰囲気を一層強めている。

 

 

   「牛乳を注ぐ女」

   1660年頃 ヨハネス・フェルメール

   オランダ・アムステルダム アムステルダム国立美術館

   一般的には 35点とされる「フェルメール」の全作品のなかで、

   本作品は古くから「フェルメール作」として正確に伝えられてき

   た貴重な一枚である。 テーブルの上のパン籠、パン、水差し、

   ミルク、ボールといった静物は、それらの表面にあたる光の反射

   が、種々の絵の具のを組み合わせて巧みに点描で描き出されてお

   り、それぞれの物体のもつ材質感が見事に表現されている。 特

   に流れ落ちるミルクの描写は奇蹟とさえ呼べよう。

 

 

   「デルフトの小路」   

   1660年頃 ヨハネス・フェルメール

   オランダ・アムステルダム アムステルダム国立美術館

   画家の独創性が際立つ風景画である。 「フェルメール」は極め

   て斬新な視点で「デルフトの小路」の様子を描いている。 それ

   は単にこの作品を高い視点から描いたというだけではなく、実に

   自然に一つの風景の一部を切り取っているからなのである。 意

   識せずとも淡々として過ぎて行く時間。 その日常の風景の中に 

   「フェルメール」は詩的情緒とつつましやかな生活の尊さを永遠

   化しているようだ。 

 

 

   「ヴァージナルの前に座る女」

   1670年~1672年頃 ヨハネス・フェルメール

   イギリス・ロンドン ナショナル・ギャラリー

   「ヴァージナル」を弾きながら一瞬、我々の方を見つける若い女性。

   妖艶さがただよい、秘密の扉を開けてしまったかのようだ。 華や

   かな装いや真珠の首飾り、絵の構成の点でも対作品とされる「本館   

   所蔵・ヴァージナルの前に立つ女」を思わせる。 ただ本作では緞

   帳をひいて室内をほの暗くし、手前にヴィオラ・ダ・ガンバを置い

   て合奏へいざなう。 背壁の絵は画家の義母が持っていた「ファン

   ・バビューレン」の「取り持ち女」で、欲得づくの愛を象徴する。

   それはこの女性の生き方か、それとも彼女への訓戒なのか、判断は

   鑑賞者に委ねられよう。 簡略なスタイルと流麗なタッチで描かれ、

   40歳の頃、晩年に向かう時代の円熟した一作である。

 

 

   「ヴァージナルの前に立つ女」

   1670年~1672年頃 ヨハネス・フェルメール

   イギリス・ロンドン ナショナル・ギャラリー

   上品な髪飾りや真珠の首飾り、ブルーの上着に赤いリボン、サテン

   の贅沢なドレスまで、裕福な婦人の華やかな姿である。 特にパフ

   ・スリーブは当時流行のファッションだ。 端正な室内もオランダ

   中流家庭の佇まいである。 彼女は「ヴァージナル」を弾く手を一

   瞬止めて、優雅な視線を私たちに投げかける。 充足した表情で背

   後の壁の「愛の使者 キューピッド」で際立つ 画中画からして 恋の

   さなかにあるのだろう。

   穏やかな光と、それが生む精妙な陰影が色彩とともに見事に調和し、

   完璧で美しい。 こうして今では名が知れぬこの女性は永遠のもの

   となった。 「フェルメール」は35点前後の作品を残して43歳

   の若さで亡くなった。 これは巨匠晩年の名作である。

 

 

   「デルフトの眺望」

   1660年頃 ヨハネス・フェルメール

   ドイツ・ハーグ マウリッツハイス美術館

   17世紀オランダを代表する画家の「フェルメール」の傑作で、

   「スヒー運河(通称:コルク川)」沿いの「デルフト」の町を描

   いている。 オランダの風景画の例にもれず、ここでも画面の三 

   分の二以上を占める空は微妙な色調の雲でおおわれ、その厚い雲

   間から陽が射し、はるか遠くの家並みの屋根を輝かせている。

   「デルフト」の町の風景に溶け込んだ光と色彩は、17世紀オラ

   ンダ風景画の最高峰と呼ぶに相応しい見事な透明感を見せている。

 

 

   「真珠の首飾りの少女(青いターバンの少女)」

   1665年~1666年頃 ヨハネス・フェルメール

   ドイツ・ハーグ マウリッツハイス美術館

   一瞬振り返って、じっと私たちを見つける少女は誰だろう。 肩

   まで垂れた青と黄色のターバンがエキゾチックな風情を添え、東

   方世界との交易で栄えたオランダならではのファッションである。

   光の演出も鮮やかで、少女の顔だけを暗い闇から浮かび上がらせ

   る。 光の粒が見開かれた瞳や赤い唇にも輝き出、とりわけ大き

   な涙形の真珠に宿る。 この貴重な真珠こそ主役なのかも知れな

   い。 謎の天才画家「フェルメール」の、忘れがたい印象を残す

   名画である。

   (この絵の前にはカメラ・スマホを持った人が並び、行儀よく順

   に撮影して行きます。 ひゃあ~、こんなに混むとは思わなかっ

   たなぁ・・・・・)