「弊社千葉支店協力専門業者会研修旅行」に参加し「徳島」に

   行って参りました。

   「羽田空港」から「徳島阿波おどり空港」に到着後「バス」に

   乗り換えて「バスガイド(阿波踊り有名連『さゝ連』に所属し

   八月の阿波踊り本番を楽しみに働いているとか)さん」からの

   「徳島ご案内」を聞きながら(県人口70万人弱、鉄道敷設無、

   主要企業:オロナミンC・ポカリスエットの大塚製薬・LED

   の日亜化学工業、徳島ラーメン:豚骨スープに醬油のこってり

   濃厚系茶色と白色、金時芋・蓮根・阿波尾鶏・阿波鯛・鱧:京

   都出荷、四国遍路:徳島23・高知16・愛媛26・香川23

   ヶ所の四国四県に在る弘法大使ゆかりの八十八ヶ所の霊場札所

   へ巡礼で、「88」は 男厄年42・女厄年33・子供厄年13

   からとか?)「日本三大暴れ川の一つ(と云われた) 吉野川」

   の穏やかな河口近く「人形浄瑠璃 徳島県立阿波十郎兵衛屋敷」

   に伺いました。

 

   この「徳島県立阿波十郎兵衛屋敷」は、「人形浄瑠璃 傾城阿

   波の鳴門」の中心人物である「阿波十郎兵衛」のモデルと云う

   べき「板東十郎兵衛」の屋敷跡だと云います。

   (阿波国は 米が育たず「藍」で栄えた土地だそうで、他国から

   密かに「米」を持ち込んで売る輩を取り締まる「庄屋」だった

   そうですが、藩のお家騒動に絡んで罪状も明らかにされぬまま

   処刑されたとか)

 

 

 

   「阿波十郎兵衛の妻・お弓と その娘・おつる」

 

 

 

   毎日「阿波人形浄瑠璃」を「各会」が持回りで上演するらしい。

   今日は「傾城阿波の鳴門(明和5年1768)」作者は「近松

   門左衛門」に私淑して「近松半二」を名乗るを含め五名の合作

   との事で「友和嘉会」が演じます。

 

 

 

 

 

   「人形浄瑠璃 傾城阿波の鳴門巡礼歌の段」(全十段の八段目)

   阿波徳島藩のお家騒動に絡み、主君の宝剣「國次の刀」が何者かに

   盗まれてしまい、その名刀を取り戻すようにとの 主君の命により、

   「十郎兵衛」は 幼い娘「おつる」を 祖母に預け、「妻・お弓」と

   共に 名を変え、盗賊に 身をやつして「大坂・玉造」に移り住んで

   おりました。

 

 

   「お弓」が一人で針仕事をしておりますと・・・。

 

 

 

   「巡礼姿の女の子が遣って参りました」(衣装に「同行二名」と

   書かれていますが、これは『弘法大師』と共に旅すると云う意味

   だそうです)

   「巡礼にご報謝を・・・」と云う声を聞き、自分の故郷「徳島言

   葉」ではないかと思い、その娘を呼び止めます。

 

 

 

 

 

 

   言葉を交わすと・・・「自分の両親は 幼い私を祖母に預けて出て

   行ってしまい、何処に居るのか 分からない。 同じ年頃の子供が

   母親に髪を結って貰ったり 抱かれて寝たりするのを見て羨ましい。

   一目 両親に逢ってみたくて『四国巡礼』をしています。 一人旅

   なので宿に泊めて貰えず野山で寝たり、軒先で寝てしまって 叩か

   れたりする事もある。 親が居れば こんな辛い目に合わずにすむ

   だろに」と、切々と両親に逢いたいと語ります。

   「この娘は、『おつる』ではないかしら?」と思い「お前の親の

   名前は、なんて云うんだい?」

   「はあいぃ~ ととさんの名は『十郎兵衛』、ははさんの名は『お

   弓』と申しますぅ~」

   「ん、で・・・・あなたの名は?」

   「はあいぃ~、『おつる』でござますぅ~」

   「(あ、やはり娘だ! 私が徳島に残してきた娘『おつる』だよ! 

   しかし今は母だと名乗れない・・・)ああ そうなのかい。 はは

   さんに逢いたくて、巡礼姿で 大坂迄来たんだね。 (今、私達は

   盗賊の仲間、これから 詮議も厳しくなるだろうから『おつる』を

   巻き込む訳には行かない、ここは可哀そうだが、国元に 帰すしか

   ないだろ)『おつる』と云ったね。 ここ等は 危険なんだ、はは

   さんに逢いたいだろうが 国に帰るの何よりだと思うよ」

 

 

 

 

 

 

   「おつる」は、幼い頃に別れた故に、目の前に居るのが『母』と

   は知らず、『母に逢いたい気持ち』をぶつけてきますが・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「お弓」は心を鬼にして、危険に巻き込まれぬように『母』とは

   名乗らず「阿波徳島」に帰らせます、が・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   (この後、「お弓」と別れた「おつる」は 偶然「父、十郎兵衛」

   と出会いますが、金に困っていた「十郎兵衛」は「我が子」とは

   知らずに思わず手にかけてしまい、家に帰って「巡礼姿の娘」が

   「おつる」であったと「お弓」から知らされます。 戻って亡骸

   を前に悲嘆に呉れる「十郎兵衛とお弓」でしたが、「おつる」の

   懐には「國次の刀」を盗んだ真犯人を知らせる「祖母の手紙」が

   入っていました。 その手紙を読んだ『十郎兵衛夫妻』は、急ぎ   

   徳島に帰参し、無事に「主君の宝剣」を取り戻したとの事です)

 

 

   「阿波人形浄瑠璃」は、農村舞台や 小屋掛けの仮設舞台などの

   野外で演じられることも多く、「文楽」と比べて一回り 二回り

   大きく 光沢のある「塗り人形」を使い「阿波の手」と呼ばれる

   大きな振りで演じられたと云います。