美味しい「ふぐ」が食べたいなぁ~、「ふぐ」と云えば「下関」

   「下関のふぐ」と云えば「あの『春帆楼』でしょ」と云う事で、

   「平河町」に在る「下関春帆楼 東京店」に伺いまして・・・・ 

   「ふくよ来い来い、ふくよ来い!」

 

   「春帆楼」

   江戸時代末期、豊中中津奥平藩(現在の大分県)の御殿医を務め

   ていた「蘭医・藤野玄洋(「広瀬淡窓」により漢学を修め、大阪

   「緒方洪庵」に漢方医を学び、長崎で「蘭医・ボルドウィン」の

   教えをうけ、再び「洪庵の適塾」で学んだとか)」が御殿医を辞

   し「小倉県令 小幡孝政」に建議して「医学校兼 病院」を設けて、

   「大江雲澤」を学校長に、自らを「院長」として指導監督したと

   云います。

   その後「本陣・伊藤家(当時の当主である「伊藤九三」は「坂本

   龍馬」を物心両面で支援した豪商だったとの事)」等の招きのよ

   って、明治10年(1877)「藤野玄洋」は「神仏分離令」で

   廃寺となった「阿弥陀寺」の方丈跡を買取り、山口県赤間関(現、

   下関)に「眼科・月波楼医院」を開業したそうです。

   その医院で「長期療養患者」の為に「化学的薬湯風呂」を設けて

   随時 入浴させ、また「超然亭」と名付けた「患者の 娯楽休憩棟」

   も設け「妻・藤野ミチ」が手料理を供したと云います。

   明治14~15年 (1881~1882)「ミチ」は「伊藤博文」

   の勧めによって 医院を接客用に改装をすすめ、中津から奉公人等

   を集めて「料理店兼客館、割烹旅館」の営業を開始し 明治20年

   「玄洋」の 没後、「料亭・春帆楼(当時「下関」は「馬関」と呼

   ばれ、「北前航路」の要衝地として「西の 浪速」と称されるほど

   活況を呈し、また「討幕を目指す 長州藩」の拠点でもあったそう

   で、「奇兵隊」や 諸藩の隊医(軍医)として「長州戦争」に加わ

   った「玄洋」の 人柄に惚れ、また「高杉晋作」が組織した「奇兵

   隊」の本拠地が「阿弥陀寺(現在 赤間神宮)」であった事からも

   「伊藤博文・高杉晋作・山縣有朋 等」の維新の志士たちが頻繁に

   出入りしたと云います。 この「春帆楼」との屋号は「伊藤博文」

   が「春うららかな眼下の海に、たくさんの帆船が浮かんでいる様」

   から名付けたとの事)」へと改装したそうです。

   明治20年(1887)暮れ、当時「初代 内閣総理大臣」を務め

   ていた「伊藤博文」が「春帆楼」に宿泊した際に、「美味い魚を」

   と求められるが 生憎 海は大時化で全く漁が無く、困った「ミチ」

   が お手打ち覚悟で、当時ご禁制であった「河豚(豊臣秀吉以来の

   「河豚禁食令」が引き継がれ「河豚食ふ者は 拘置科料に処す」と

     定められていたが、禁令は表向きで、下関の庶民の間では 昔から

   食し「河豚中毒」は 絶える事無かった)」を御膳に出したところ、

   若き日に「高杉晋作」達と食べてその味を知っていた「伊藤博文」

   は 初めて食したように装って、「これは 美味な魚だ」と称賛して

   明治21年(1888)に 当時の「山口県令(現在の知事)原保

   太郎」に命じて禁を解かせ、「春帆楼」を「ふぐ料理公許第一号」

   としたで「ふぐと云えば 春帆楼」と謳われる様になったと云う。

   また 明治維新後に急速に近代化の進んだ「日本」は、「朝鮮半島」

   権益を巡り「清国(中国)」と対立を深め 明治27年(1894)

   「甲午農民戦争(東学党の乱)」をきっかけに開戦、「日本軍」が

   「平壌・黄海」で勝利「遼東半島」を制圧した 戦況を受け「清国」

   は「講和」を申し出て、その「講和会議 開催地」が 長崎・広島等

   の候補地を差し置き、当時二回目の「内閣総理大臣(第五代)」を

   務めていた「伊藤博文」が「下関、春帆楼」とすると決めたとかで

   明治28年(1895)3月19日に 総勢百人超の「清国使節団」

   が「亀山八幡宮沖」に到着し、「日本全権弁理大臣伊藤博文・陸奥

   宗光」と「清国講和全権大臣李鴻章」をはじめとした両国代表11

   名が「春帆楼二階大広間」で交渉を繰り返し、4月17日に「日清

   講和条約(下関条約)」が締結され、後に「春帆楼」は「鉄道唱歌

   :世界に その名いと高き、馬関条約結びたる、春帆楼の跡とひて、

   昔しのぶも おもしろや」と歌われ、その名を残しています。

 

   まずは「ヱビスビール」で乾杯を。

 

 

   「先付 新玉葱摺り流し」

 

 

   「前菜」

    ・飯蛸旨煮、竹の子唐揚げ、厚焼き玉子、菜の花昆布〆、花弁人参

    ・寄せ空豆

    ・赤貝手鞠鮨 屈諸味噌添え

    ・姫栄螺と独活の木の芽和え

 

 

 

 

 

 

   「造り とらふく薄造り」

   (大皿に 二人前・三人前と分けて戴いたが、美しいので 何枚も

   撮ってしまった)

 

 

 

 

 

 

 

   「強肴 とらふく白子」

   (「酒蒸し・ポン酢」か「塩焼き」が選べます)

 

 

 

   「鍋物 とらふくちり鍋」

   (「新型コロナウイルス」の影響で「一人鍋」となり、現在も)

 

 

 

   「揚物 とらふく唐揚げ」

 

 

   「ひれ酒」

   (「ひれ」を こんがり焼いて、芳ばしい。 勿論「しゃぶしゃぶ」

   を致します・・・マッチで火を点け、「ひれ」を箸で摘まんで酒の

   内外に上げ下げし、青白い炎を長く揺らしてアルコール分を飛ばし

   ます)

 

 

   「食事 とらふく雑炊と香の物」

   (「雑炊」は、そのまま食べて、途中から「ポン酢・紅葉おろし

   (春帆楼のは辛い)」で味変を行います)

 

 

 

 

   「水菓子 黒ごま生プリン」

 

 

   「ああ 美味しかった! 流石「春帆楼」、「とらふく」は 天然で

   はないと思うが 旨味が濃いわぁ」