今日は「弊社千葉支店・協力専門業者」との「安全祈願祭」を

   午後五時から「姉埼神社」で開催いたしました。

   (「市原市『姉崎』」に在るが「社名は『姉埼』神社」、また

   「埼」の字の「大+可」が、正式には「立と可が上下に付いて

   一画少ないもの」らしい。 変換しても出てこないので、神社

   の資料も「姉埼」と記しています)

 

 

 

 

   主祭神は「支那斗弁命(しなとべのみこと、風の神、式内社の

   「島穴神社」の祭神である「志那都比古尊」の妻もしくは姉と

   云われます)」

   配祀神は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」

       「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」

       「塞三柱神(さえのみはしらのかみ)」

       「大雀命(おおささきのみこと、「仁徳天皇」)」

   景行天皇40年に「日本武尊」が東征の際に、浦賀水道走水の

   海で暴風雨に遭うが「弟橘姫」の犠牲によって「上総」に上陸

   する事ができたと「古事記・日本書記」に記されているそうで、

   「神社社伝」によれば その時に「日本武尊」が「宮山台(現社

   地)」で「弟橘姫」を偲び、「風の神」である「支那斗弁命」

   を祀ったのが創建と云います。

   また「日本武尊」の死後、父である「景行天皇」が「日本武尊

   の縁の地」を歴訪し、この地を訪ね「姉埼神社」に「日本武尊

   を合祀」したと云います。

   更に成務天皇5年に、当地を支配していた「上海上国造・忍立

   化多比命」が「天児屋根命と塞三柱神」を合祀し、加えて履中

   天皇4年には「忍立化多比命の孫・忍兼命」が「大雀命」を合

   祀したと伝わります。

   (この「姉埼神社」は、昭和61年(1986)に大火に遭い

   本殿と神木が焼失しています・・・本殿は再建され、神木は焼

   け残った芽から育て直しています)

   「姉埼神社境内に 松の木が生育しない伝説」(多くは 杉古木)

   *出かけて、いつ帰るか分からぬ「志那都比古尊」を思いつつ

   「支那斗弁命」が「待つのはつらい」と嘆いた事から、「待つ

   ・松」が忌まれるようになったとか。

   *「支那斗弁命と志那都比古尊」がこの地を訪れた際に、姉神

   「支那斗弁命」の方が先に到着し、弟神「志那都比古尊」を待

   ったので「あねがさき」と云う地名になったとか。

   *この地の元々の地名が「姉ヶ松」で、姉妹の居る家では「妹」

   ばかりが先に嫁ぎ「姉」が実家に長く居る事が多く、「あねが

   まつ(姉が待つ)」から「姉」が先に嫁に行けるよう「あねが

   さき(姉が先)」に地名を変えたとか

   「姉埼神社氏子区域」では「正月に『門松』を飾らず『門・榊』

   が飾られるとか。

 

   今年は「コロナ禍」で中止していた「懇親会」を復活させよう

   と云う事で、その会場に選んだのが「竜寿司」、そうなんです

   「辰年」だから『竜』に拘ったんですって。

   

   地元の名酒「腰古井」を戴きます。

 

 

   「小鉢に、鱈白子」

 

 

   「中トロ・明石 鯛・青森 平目」

 

 

 

 

   「赤貝・奥尻 青柳・甘海老」

 

 

 

   「小鉢に、鯵」

 

 

   「小鉢に、蒸し鮑・愛知 蛤」

 

 

   「焼物 九州 ヒラスズキ」

 

 

   「中とろ・平目・小肌」

 

 

   「海老」

 

 

   「アオリイカ・うに軍艦巻・穴子」

 

 

 

 

 

   「椀物 鰤」