「大阪・今宮戎神社」の「残り福」に伺い「古笹」を戻してから

   所用で「京都」に立ち寄り、翌朝「東京」に戻りまして、「昨年

   鎮座450年祭」を迎えた「上目黒氷川神社」に「弊社役員・協

   力専門業者会役員」が集まり「今年一年の無事故無災害」を祈念

   いたしました。

 

 

 

 

 

 

 

   「境内社・稲荷神社」(拝殿の左に位置します)

   御祭神:宇迦之御魂神(農耕・産業全般の神様)

   創建は不詳だが、昔より この山を「稲荷山」と呼ぶ事があった事

   から、「氷川神社」より創建が古いとも言われています。

   現在では「産業の神様」と崇敬され「三月の丑の日」に「初午祭」

   を斎行しております・・・との事であります。

 

 

   「目黒富士」の案内板が在り「江戸時代に、富士山を対象とした

   民間信仰が広まる中『富士講』という団体が各地で作られ、富士

   講の人々は富士山に登るほかに、身近なところに『小型の富士山

   ・富士塚』を築き、これに登って山頂の石祠を拝みました。

   目黒区内には 二つの『富士塚』がありました。 

   一つは文化9年(1812)に、『目切坂上』に築かれたもので

   『元富士』と呼び、後に『別所坂上』に築かれたもう一つの富士

   塚を『新富士』と呼びました。

   『元富士』は 高さ12mで、石祠(浅間神社)を祀っていました

   が 明治11年(1878)に取り壊しとなり、この『氷川神社』

   の境内に 石祠や富士講の石碑を移しました。

   昭和52年(1977)7月に 富士山に見立てた 登山道を開き、

   境内の一角を『目黒富士』と呼ぶようになりました」 との事。

 

   「境内社・浅間神社」(拝殿右に位置します)

   御祭神:木花咲耶姫命(鎮火・安産の神様)

   江戸時代に富士山信仰が盛んになり、富士塚を登り 浅間神社を

   お参りする事で『富士山』を参拝した事としました。

   当『浅間神社』は上目黒一丁目の『目切坂』に在った『元富士』

   を明治11年に『氷川神社境内』に遷したものです・・・とか。

 

 

   「安全祈願祭」を終えて「目黒雅叙園(ホテル雅叙園東京)」に

   移動し、弊社建築工事部社員・協力専門業者 企業役員等と共に

   「4階和室宴会場 鷲の間」で「賀詞交歓会」を開催致しました。

   

   「兜町十二支占い・十干十二支占い」等を交えて「新春ご挨拶」

   をさせて戴き、開宴です!

 

 

   この日は「ビュッフェスタイル」でしたが、各御企業の方からの

   「ご挨拶」を戴くので、自席を離れられず「おまかせ」で料理を

   運んで戴いたので・・・料理名の記録が出来ず、写真だけに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「コロナ禍」で「賀詞交歓会」が開催できなかったが、今年開催

   出来て良かったなぁ と思いながら、「皿数」を数えたら「11」

   とは、こりゃあ 食べ過ぎました!