「京都ゑびす神社」は「えびす宮総本社 西宮神社・大阪今宮神社」

   と並んで「日本三大ゑびす」と称されると云います。

   (地元では「えべっさん」と呼びます。 「三大ゑびす」の中では

   最小規模かな。 西宮神社は「十日早暁大祭終了後に行われている、

   開門神事・走り参り」が「福男選び」として有名です)

 

   「えべっさん」は「七福神(恵比寿・寿老人・大黒天・毘沙門天・

   福禄寿・弁財天・布袋、福をもたらす七人の神様、七難即滅・七福

   即生)」の中で、唯一の「日本人の神様」だとか。

 

   「恵比寿」

   「大国主神」と「神屋楯比売命または高津姫神」との間に生まれた

   「事代主神(八重言代主神・八重事代主神)」を「恵比寿」とする、

   または「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみ

   こと)」の子「蛭子尊(ひるこのみこと)」とする説があるとの事。

   「釣り竿」を持ち「鯛」を抱えて、「漁業や農業」の守護神とされ、

   後に「商売繁盛の神様」とされるようになったとか。

 

   「寿老人」

   「南極老人星の化身、中国伝説上の人物。道教の神仙」で酒を好み

   頭の長い「健康・長寿の神」と云われます。

   不死の霊薬を含む「瓢箪」を運び、手に長寿を表わす「桃」を持ち、

   長寿と自然との調和を象徴する「牡鹿」を従えています。

 

   「大黒天」

   「ヒンドゥー教シヴァ神の異名・化身 マハーカーラ(摩訶迦羅)」

   が「インド密教」に取りれられて「マハー:大(偉大)」「カーラ

   :黒(暗黒・闇黒)」を意味し「偉大なる暗黒の神:大黒天」と云

   う「青黒い身体に憤怒相の 護法善神」であったとか。

   日本には「密教の伝来」と共に伝わり、「軍神・戦闘神・富貴爵禄

   の神」とされたが、「鎌倉期」以降「大国主神」と習合して、現在

   の「柔和相」となったそうです。(「大黒:だいこく」が「大国」

   に通じ、「神道の神・大国主神」と習合する事で「豊穣の神、食物

   ・財福を司どる神」とされ、「室町期」に「微笑相」が加わり、更

   に「江戸期」には「米俵に乗る」と云う像容になって、現在一般的

   には「米俵に乗り、福袋と打出の小槌を持った微笑みの長者」に)

   「福袋」を背負うのは、「大国主」が「因幡の白兎の説話」の中で、

   八十神たちの 荷物を入れた「袋」を持っていた為、また「大国主」

   が「素戔嗚」の計略によって焼き殺されそうになった時に「鼠」が

   助けたという説話から「鼠が大黒天の使い」になったのだとか。

 

   「毘沙門天」

   「インド神話のヴァイシュラヴァナ」を前身として、仏教における

   「天部」の仏神で「持国天・増長天・広目天」と共に「四天王」の

   一尊とされる「武神」で「多聞天・北方天」とも云う。

   (中央アジアを経て中国に伝わる過程で、「武神」としての信仰が

   生まれたと云います)

   (日本では「四天王」の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、

   独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例とか。

   「五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・長命長寿・立身出世」等の「福

   の神」に、江戸時代以降は「勝負ごとに利益あり」とも云われる)

   その姿は「革製甲冑・鎧兜」を身に着けた「唐代の武将風」であり、

   手に「宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒、厄払い)」と「宝塔(

   豊穣)」を持ち、「邪鬼」と云う「鬼形の者」の上に乗り踏みつけ

   たものが多いようです。

 

   「福禄寿」(福禄人)

   「中国・道教」で希求される三種の願い「幸福:血のつながった実

   の子に恵まれる事、封禄:財産に恵まれる事、長寿:健康を伴った

   長寿に恵まれる事」の三徳を具現化したもので「南極星」の化身と

   される事から、「寿老人」と「同体異名の神」とも云います。

   (「福星・禄星・寿星」の三星を それぞれ神格化した「三体一組」

   の神と云い、「福星」は「裕福な官服を着た黒髪の姿で三者の中心

   に描かれ、「禄星」は「緑色の服装で、豊かさを表わし金銭や嬰児

   を抱いた姿で、「寿星」は「南極老人星、容貌は背が低く長頭で長

   い白髭を生やし耳が長く、杖に経巻を結び 鶴を伴っている老人姿」

   であり、この「寿星」の姿が単独で日本に伝わったと云います。

   また「寿星」だけを「老人の姿」で描き「福星」を「蝙蝠」として

   「福星」を「鹿」として描いたものがあり、日本では「福禄寿」を

   三人ではなく「一人の神格」と認識したようです)

 

   「弁財天」

   「ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティー」が仏教に取り込まれて、   

   また「神仏習合」によって「神道」にも取り込まれて、日本的変容

   を遂げたと云います。

   「日本の弁財天」は「吉祥天」他の神の一面を吸収し、日本神話に

   登場する「宗像三女神の一柱・一杵嶋姫命(いちきしまひめ)」と

   同一視される事も多いようです。

   (「サラスヴァティー」の漢訳は「弁才天・辯才天」であるのだが、

   日本では「財宝神」の側面から「弁財天・辯財天」との表記が多い

   のだとか)

   「サラスヴァティー」は「水の女神」であるが、次第に「芸術・学

   門」等の知を司る女神とされます。

   また「音楽神・福徳神・学芸神」に加えて「戦勝神」の性格も備え、

   その像容は「琵琶を抱え、撥を持って奏する音楽神」の形が多いよ

   うです。

   (現在「弁財天」が「七福神」の唯一の女神だが、もともとは「吉

   祥天」であったとか・・・「吉祥天」は「毘沙門天夫人」であった

   が、その「毘沙門天」を慕う「弁財天」が「吉祥天」を追い出して

   「宝船」に乗り込んだ?)

 

   「布袋」

   中国に実在したと云う 伝説的な仏僧で、太鼓腹に大きな袋を背負っ

   た僧侶姿で描かれます。

   その名は「契此(かいし)、釈契此(しゃくかいし)」と云い、常

   に「頭陀袋」を背負っていたので「布袋」と云う俗称が付いたとか。

   姿は風変りであっても 素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた

         気持ちにさせる不思議な力を持っていたと云い、様々な伝説があり、

   「弥勒菩薩」の化身とまで言われたそうです・・・・「頭陀袋」が

   「堪忍袋」と見なされたとか。

 

 

   この「京都ゑびす神社」は、「榮西禅師」が 建仁2年(1202)

   「建仁寺建立」にあたり その鎮守として建てられたが「応仁の乱」

   で荒廃し、その後 現在地に再建されたと云います。

   (「建仁寺」から「塔頭・禅居庵 摩利支尊天堂」を抜けると 直ぐ)

 

 

 

 

 

   「鳥居」を潜って左手に「手水舎」

 

 

   右手には 古くなった「財布と名刺」とを供養する「財布塚(松下

   幸之助寄進)」と「名刺塚(吉村孫三郎寄進、京都実業界重鎮)」

   が在ります。

 

 

   右手に釣り竿、左手に鯛を抱いた「ゑびす像」と「阿吽の狛犬」

   (「えべっさん」は、釣った「魚」を 物々交換して「米」を手に

   入れると云う「商売の道」を切り開いたとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

   「二の鳥居」で「賽銭投げ」

   鳥居に「えべっさんの福箕」が飾られています。 

   この「福箕」と「熊手」に投げ入れた お賽銭が入ると「願い事が

   叶う」とか。   

 

 

 

   「境内摂社・小松天満宮」

   「足止め天神」と呼ばれ、お参りすると「家出した人が帰る」と

   云われます。

   また「大切な人が自分から離れない、縁を固める」ご利益もあり、

   昔から「舞妓・芸妓」に信仰されたとか。

 

 

   「京都ゑびす神社・本殿」

 

 

   この「本殿」でお参りした後、左側面の戸板(奥に「えべっさん」
   がみえます)を トントントンと叩きます・・・「えべっさん」は

   耳が遠いので 戸板を叩き、自分の名前・願い事・感謝を伝えます。

   (「花街・宮川町」に出ます)

 

 

 

   「えべっさん」と云えば「商売繁盛の 笹」、この「ゑびす信仰の

   象徴」でもある「笹」は、元来「京都ゑびす神社独自の 御札」の

   形態が広まったものだそうです。

   「笹」は「縁起物・松竹梅の 竹の葉」で「節目正しく真直ぐに伸

   びて、弾力が在り 折れない、葉が落ちず 常に青々と繁る」と云う

   事から「家運隆昌・商売繁盛」の象徴に。

   その「笹」に「吉兆」を付けて貰うのが「十日戎」でして「京都」

   は「8日:招福祭、9日:宵ゑびす祭、10日:十日ゑびす大祭、

   11日:残り福祭、12日:撤福祭」の 五日間興行、「大阪今宮

   神社」の「十日戎、商売繁盛で笹持って来い、商売繁盛で 笹持て

   来い」は「9日:宵ゑびす、10日:本ゑびす、11日:残り福」

   の三日間興行です。(1月10日は「えべっさん誕生日」とか)

 

   確か、いやたぶん「昭和63年」だった と思うのですが、大阪の
   「お客様」に「新年の御挨拶」に伺った折に「今宮神社・十日戎」
   を知り、初めて伺って以来 毎年「商売繁盛祈願・感謝」で伺って
   「姿の良い笹を求めての争奪戦」「福娘に 吉兆を授与して貰う」、
   「銅鑼を叩いて  社名・氏名・願い事・前年の感謝御礼を伝える」
   を行って参りましたが、「コロナ禍」で「笹授与・吉兆付け」を
   行う事が出来ず「福笹、郵送可」を甘受して、後日「前年 古笹」
   を返しに行くようになりました。
   今年は「残り福」に行ってみようか、でも「福笹郵送・古笹返却」
   と云う事にしようと・・・「新幹線車窓」から「富士山・伊吹山」
   を見ながら「新大阪」に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

   「新幹線・新大阪」から「なんば」を経て「今宮戎」に到着。

   「11日残り福」の昼頃・・・「あれあれ、結構 人が出てるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「銅鑼を叩かなくっちゃ!」と参りましたが「銅鑼は ありません」

   (「混雑防止」だそうです)

 

 

 

   「古笹返却」を終えて・・・「京都」へ

   お気に入りの「京都 町中華名店・鳳泉」に伺います(昼営業の

   ラストオーダーに間に合いました)

   「昼間」ですが「甕出し紹興酒・ロック」を一杯だけ戴きます。

 

 

   「鳳泉名物・焼売と撈麺(エビカシワソバ、通称:からしそば)」

   (柔らかい麺に辛子を絡ませ、上から野菜の餡かけを)

 

 

 

   「宿泊ホテル近くのスタバ」で「六角堂と たぬき様」

 

 

   「ホテルオークラ京都」で軽い夕食を。

   「シーバスリーガル、ダブルロック」と

 

 

   「アメリカンクラブサンド」